赤い付箋は剥がさない

編集制作会社〈灯台社〉で、御厨朔は原稿より先に人へ赤い付箋を貼る。

黒いタートルネックの肩、腕、時には額にまで四角い赤がくっついている。付箋には「要確認」「保留」「昼食」などと小さな字があり、本人は剥がそうとしない。

「傷には値札をつけるな」

それが御厨の口癖だった。

入社二年目の丹羽こよみが相談を持ち込んだのは、人気エッセイストの入稿翌日だ。原稿には、こよみが歓迎会で一度だけ話した失恋の経緯が書かれていた。駅名も、相手に返せなかった言葉も同じだ。ただし語り手は「友人」とされ、最後には前向きな教訓まで足されている。

「私だと証明できません。締切も明日です」

「で、君は何を望む。謝罪、削除、金、復讐」

「公開しないでほしい。それだけです」

御厨は慰めず、赤い付箋を原稿の該当箇所へ次々貼った。ページが赤い鱗のようになる。

「著者に、私の話だと言いますか」

「言わない。声を上げた人間に、説明役まで押しつける会社は三流だ」

御厨は作家へ電話し、「出典を確認できない実話は買えません」とだけ告げた。相手が販売部の名前を出しても、部数を並べても、同じ文を繰り返した。穴の空いた誌面には、御厨が長く保留していた匿名エッセイを入れることになった。

「部長に怒られます」

「怒るのは無料だ。載せるのは有料だ」

電話を切った彼の袖から、一枚の付箋が床へ落ちた。拾ったこよみは、裏にびっしり書かれた小さな文字を見てしまう。誰かの秘密を売らないための確認項目が、十七個も並んでいた。

御厨は奪い取らず、新しい付箋を差し出した。

「見たなら十八個目を書け」

こよみは迷い、「本人が笑って話しても、使用許可とは限らない」と記した。

翌朝、自分の机に赤い付箋が貼られていた。いつもの赤だから、一瞬また修正だと思った。

そこには「共同担当」とある。

「赤は危険の印じゃないんですか」

「危険を一人にしない印だ」

御厨は自分の肩から一枚だけ剥がし、こよみの社員証へ貼った。

「傷には値札をつけるな。代わりに、担当者の名前をつけろ」