赤信号だけが青かった

鷺森迪は二十七年間、無事故の路線バス運転士だった。視覚補助端末が導入されてからも、停留所の白線、児童の黄色い帽子、信号の色を指差し、声に出して確認した。機械を信じないのではない。人間の目が間違うぶん、確認を一つ増やすのが彼の流儀だった。

事故の日も、交差点の信号は確かに青かった。端末にも「進行可」と表示され、前方の車は半透明に整理されて見えた。けれど横断歩道へ踏み出した少女の母親は、赤だったと泣いた。防犯映像にも赤が映っていた。何者かが迪の視覚野にだけ、青の信号を送り込んだのだ。

少女は骨折で済んだ。それでも迪は免許を返した。会社は被害者として復職を勧めたが、彼には信号がもう色ではなく、誰かの悪意で塗り替えられる紙片にしか見えなかった。自宅に閉じこもるうち、青い空にも、青い封筒にも身構えるようになった。

事故調査委員会では、何度も同じ質問をされた。「本当に青く見えたのか」。迪がうなずくたび、遺族でもない傍聴人から嘘つきと囁かれた。乗客の一人は、急ブレーキで痛めた腰の診断書を送りつけてきた。反対に、毎朝乗っていた老人からは「あなたが慎重だったことは知っている」と葉書が来た。どちらも読むと胸が痛み、迪は信号だけでなく、人の言葉にも色を付けられなくなった。

半年後、事故の少女から手紙が届いた。「学校の前の横断歩道は、車が止まってくれません」。迪は翌朝、蛍光旗を持ってそこへ立った。信号は見ない。車輪の音、路面の震え、運転手の顔、子どもの靴先を一つずつ確かめた。

雨の日、少女が尋ねた。

「青なのに、どうして止めるの?」

「青でも来る車がある。赤でも止まる人がいる。色より、人を見るんだ」

迪は毎朝、旗の重さと自分の足で路面を確かめた。

やがて児童たちは迪を「青でも止めるおじさん」と呼んだ。誇らしい呼び名ではないと思っていたが、卒業式の日、少女が無傷の足で駆けてくるのを見たとき、迪は初めてそう呼ばれて笑った。