赤字の白いボード
父が家族経営の写真館に新しい印刷機を入れたのは、「これで店を立て直せる」と信じたからだった。
百四十六万円のローンを、母にも黙って組んだこと以外は。
督促状を見つけた夜、母は怒鳴らなかった。食卓の壁から予定表を外し、白いボードへ大きく書いた。
〈借金 一四六万円〉
「数字にすると、逃げにくいでしょう」
父は正座した。高校生の兄は電卓を出し、小学生の妹は「ゼロを一個消せば?」と提案した。
「それを改ざんと言います」
母が答えた。
兄は貯金を差し出そうとしたが、両親は断った。
「これは大人が作った借金。子どもに返させない」
「じゃあ、俺たちは何するの」
「困っているふりを隠さない家族になる」
まず、父は取引先へ頭を下げ、支払い条件を組み直した。母は家計をすべて開示した。兄は店の古い写真を整理し、希望者へデータ化サービスを提案した。妹は受付に〈証明写真で笑わせません〉と書いた。意味はよく分からなかったが、なぜか評判になった。
返済のたび、ボードの数字が減った。
一二九万円。
九十八万円。
六十三万円。
順調な月ばかりではなかった。運動会シーズンに雨が続き、数字が一円も動かない月もあった。
そんな夜、父はボードを消そうとした。
「見ていると情けなくなる」
母がペンを取り上げた。
「隠したときより、今のほうがずっとまし」
妹が借金の下へ新しい項目を書いた。
〈言ってないこと 〇個〉
「これは毎日ゼロにするの」
それから、兄は模試の判定を、母は健康診断の再検査を、父は客から苦情を受けたことを、消さずに話した。
三年目の春、残額はついに〇円になった。
父は記念にボードを捨てようとしたが、家族全員に止められた。
今はそこへ、店の予約や夕食当番が書かれている。一番下の〈言ってないこと〉だけは残ったままだ。
ゼロが続くわけではない。
昨夜は兄が「会社を辞めたい」と書き、今朝は父がその横へ〈話を聞く〉と足した。
借金はなくなった。
けれど、赤字を四人で見つめた白い場所は、家族が困ったときに戻る場所として残った。