転居先の空欄
児童養護施設を出て七年、山科士門は育ての親だった巌の引っ越しを手伝うため、海沿いの古い家へ戻った。
巌は里親を辞め、二階建てを売って小さな団地へ移る。士門が暮らした六畳間には、知らない子どもたちの落書きが増えていた。
「箱、台所が十二。二階が九」
「俺の物は?」
「押し入れの下」
出てきたのは、高校時代のジャージと、欠けたマグカップだけだった。十八の春、巌に「ここを出る準備をしろ」と言われた夜、士門は自分が最後まで預かり物だったのだと思った。就職先の寮へ移ってから、年賀状にも返事をしなかった。
二人は段ボールへ番号を振った。巌は黒いペンで〈新居・台所〉と書き、士門はガムテープを引く。昔から、巌は字が大きすぎ、士門はテープを短く切りすぎる。施設の遠足前も、巌は水筒や帽子へ大きく名前を書いた。士門はそれが恥ずかしくて、油性ペンの字を爪で削ったことがある。
夕方、最後の箱だけ行き先が空欄だった。士門のジャージとマグカップ、それに卒業式の写真が入っている。
「捨てていい」
「新しい部屋、押し入れが狭い」
「なら、なおさらだろ」
巌は答えず、箱の隅へ小さく〈十九〉と書いた。団地の間取り図を見ると、番号の十九は存在しない。巌は番号を振った一覧表を畳み、胸ポケットへしまった。士門が聞いても、ただ「忘れ物用だ」と言った。
荷物を運び終え、新居で箱を開けると、台所の奥に半畳ほどの物入れがあった。そこだけ棚板が外され、士門の箱が縦に収まっている。巌は何も説明せず、工具箱を閉じた。
「泊まる場所はないぞ。布団は一組だ」
「聞いてない」
士門はそう言いながら、欠けたマグカップを流しで洗った。食器棚には巌の湯呑み一つしかない。隣へマグカップを伏せると、二つは肩が触れるほど近かった。
帰りの電車まで三十分あった。士門は転居届の用紙を見つけ、空欄だった連絡先へ自分の番号を書いた。住所欄には団地の部屋番号を写し、巌の冷蔵庫へ磁石で留めた。
ジャージの箱は開けたままにした。次に来たとき、着替えを探さずに済むように。