透明な付箋

栞奈は、打ち合わせが始まる前に必ずスマートフォンの録音画面を開く。

「今度こそ、誰が言ったか分からなくならないように」

冗談めかして笑う彼女の端末を、私はいつも伏せた。会議中に通知が光るのは失礼だし、アイデアは自由な空気から生まれるものだから。

広告制作会社に入って三年。私は言葉を拾うのがうまい。栞奈は思いつきを口にするだけで、企画に仕立てる力がない。だから彼女の断片を磨き、使える形にするのは、先輩である私の役目だった。

先月の化粧品広告でも、栞奈が休憩中にこぼした「肌にも休日がいる」という言葉を私が提案書へ入れた。採用後、彼女は何も言わず笑った。あれは感謝だと思っている。

新しい朝用飲料のプレゼンで、私はコピーを読み上げた。

「朝は、まだ誰のものでもない」

部長が顔を上げた。栞奈も、ゆっくり私を見た。

「それ、金曜に私が言ったよね」

「似た言葉くらい、誰でも思いつくよ」

「午前二時にメッセージも来た。『これ、私の案として整えるね』って」

「励ましただけ。あなた、説明が下手だから」

翌日の役員会議で、栞奈は私より先に立ち、同じコピーを自分の企画として提示した。胸の奥が冷えた。とうとう手柄を盗まれた。普段おとなしい人ほど、こういうとき残酷になれる。

私は証拠を求めた。すると彼女は金曜の録音を再生した。

『朝って、まだ誰のものでもない感じがします』

栞奈の声のあと、椅子がきしみ、私の声が入っていた。

『それ、私が言ったことにしよう。あなたが発表すると弱く聞こえるから』

会議室が静まる。私は笑ってみせた。

「指導の一環です。言葉を商品にしたのは私でしょう」

「だから、今回だけは私が最後まで商品にしました」

部長は企画書の作成者欄を栞奈に戻し、過去案件の修正履歴も調べると言った。私は席に戻ってから、彼女の机に透明な付箋を貼った。

――そんなやり方では、誰にも信頼されないよ。

栞奈は読んでも剥がさず、スマートフォンを私の方へ向けた。

画面の赤い点は、私が付箋を書き終えても消えなかった。