通知のない十三分

由井沢麻緒の昼休みは、いつも画面の右下から始まる。

顧客対応用のチャット、社内連絡、予定変更。コンビニのサンドイッチを開く前に三つ返し、ひと口かじったところで二つ返す。返事が一分遅れただけで、信頼まで減るような気がしていた。

春の大型更新が終わってから、麻緒は何をしていても薄く急いでいた。歯を磨きながら翌日の資料を考え、湯船では問い合わせ履歴を読み、眠る直前まで未読の数字をゼロにした。仕事は以前より早く回せるようになったのに、朝、社員証を首にかけるだけで胸が詰まった。

その日、ビルの空調点検で休憩室が使えず、麻緒は会社裏の小さな川沿いへ出た。ベンチは日に焼け、手すりには雀が一羽止まっていた。サンドイッチの包みを開いた瞬間、スマートフォンが震える。

《至急確認お願いします》

反射で親指が通知を開いた。内容は、来週の説明会の座席数についてだった。今でなくても答えられる。分かっているのに、頭の中では「至急」の二文字が警報のように鳴る。

麻緒は返信欄へ「確認します」と打った。いつもの四文字だった。

けれど送信する前に、画面の上へ指を滑らせた。業務アプリの通知設定を開き、《十三時まで一時停止》を押す。休憩の残りは十三分だった。

通知の丸が消えた画面は、壊れたみたいに静かだった。麻緒は一度だけ周囲を見た。誰も困った顔で駆けてこない。川面を風が押し、光が細かくほどけている。

サンドイッチは少し乾いていた。けれど、トマトの酸味がした。朝から何を食べても味がしないと思っていたのに、舌の端にちゃんと残った。

十三分のあいだ、麻緒は何も取り戻さなかった。仕事が好きだった頃の気持ちも、休日の予定も戻らない。ただ、最後のひとかけを急がず噛んだ。

休憩終了の時刻になり、通知はまた届き始めた。麻緒は座席数を確認して返信した。それから空になった包みを折り、ベンチの隙間へ落ちたパンくずを一つ拾った。

仕事へ戻る足取りは重いままだったが、十三分だけは、誰にも渡さなかった。