適性ゼロの朝
柿崎朔也は改札を抜ける前に、いつものようにスマートフォンへ右目を向けた。虹彩と脈拍を読み取った《職適》が、今日応募できる仕事を三つ並べる。
〈配送管理 適性87〉
〈倉庫監督 適性81〉
〈建築補助 適性54〉
市民が応募できるのは、十年間の推定就労時間が基準を超えた職種だけだ。朝の天気を見るのと同じくらい、当たり前の手順だった。数値が六十を切った日は残業を控え、八十を超えた日は求人を眺める。それだけで人生は大きく外れない、と学校でも教えられた。
電車を待つあいだ、妹の椿から画像が届いた。
〈本日の就労適性 0〉
最初は加工した冗談だと思った。椿は二十二歳で、建築士試験にも一度で受かった。来週には、ずっと憧れていた設計事務所の選考がある。子どもの頃から空き箱で家を作り、父の葬儀の夜にも「母さんが一人で住める小さい家」を方眼紙に描いていた。
「再起動した?」
『三回。昨日まで九十一だったのに』
朔也はホームの端でサポートを開いた。問い合わせ欄には入力できず、質問を選ぶ方式しかない。
〈急激な数値低下〉を押す。
《職適は将来の推定就労可能時間を反映します。医療上の診断ではありません》
診断ではない、とわざわざ書かれていた。
椿が電話をかけてきた。向こうで紙をめくる音がする。面接に持っていく模型の図面だろう。
「兄ちゃん、ゼロでも会場には行けるかな。受付で説明したら」
朔也は答えず、詳細表示を開いた。
〈推定就労可能時間 0時間〉
〈判定更新予定 なし〉
ホームに電車が滑り込み、並んだ人々の端末に、その日の職種と数値が一斉に浮かんだ。誰も驚かず、画面を閉じて車内へ進む。椿だけが、その当たり前の列から突然消されたように思えた。
その下で、自分の〈建築補助 適性54〉が青く点滅した。椿の設計事務所が、欠員補充として推薦してきたのだ。添付欄には、昨夜、椿が相談のため送ってきた図面が自動で登録されている。
《あなたの応募資料として使用しますか》
電車の風が、画面の図面を震わせた。
「会場、駅から遠いんだよね」と椿が言う。「一緒に来てくれない?」
朔也は推薦を削除した。快速の扉が閉まる直前、列を抜け、改札の外へ引き返した。