配達完了、鍵は未着
神余志帆と戸祭敬人は、三年暮らした部屋を一度だけ離れることにした。
喧嘩のたび同じ言葉を繰り返し、謝っても、何に傷ついたのかを説明できなくなっていた。志帆は駅向こうの短期賃貸へ移り、ひと月だけ別々に考えることにした。
「続けたいと思ったら、合鍵を送って」
志帆が言った。
「言葉じゃなくて?」
「言葉だと、またうまく丸め込まれそうだから」
「僕、そんなに話が上手かった?」
「下手なのに長いの」
二人は笑った。それが最後に同じ意味で笑った日だった。
三週間後、敬人は宅配便で鍵を送った。小さな箱に、便箋を一枚入れた。
〈帰ってきてほしい。今度は、分かったふりをせずに話したい〉
志帆の住む建物では、改修工事で部屋番号が変わったばかりだった。旧五〇二号室は新五〇三号室。配達員は古い案内板を見て、空室の宅配ボックスへ箱を入れた。
敬人の画面には〈配達完了〉と表示された。
志帆のもとには、何も届かなかった。
敬人は返事を待った。
志帆も鍵を待った。
三日目、敬人は、鍵を受け取ってなお沈黙しているのなら、それが答えなのだと思った。
志帆は、鍵を送らないと決めた彼へ、これ以上確認するのは惨めだと思った。
二人とも連絡しなかった。
半年後、建物の管理人が空室の宅配ボックスを開け、志帆へ箱を渡した。
鍵は錆びていなかった。便箋も、配達された日のままだった。
志帆は敬人へ電話した。
番号は変わっていなかった。
二人は、かつて暮らした部屋の近くの公園で会った。敬人は転職して地方へ移ることが決まり、志帆も長く迷っていた専門学校へ通い始めていた。
「届いてなかったのか」
「届いたと思ってたんだね」
「一度、訊けばよかった」
「私も」
敬人は箱から鍵を出した。
すでに部屋は別の人へ貸され、鍵は何も開けない。
「今からでも、やり直せるかな」
彼が訊いた。
志帆はすぐには答えなかった。
会いたかった。鍵を待っていた日々も本物だった。
けれど二人は、相手の気持ちを確かめる代わりに、鍵を試験問題へ変えた。届かなかったことより、届いたかどうかを訊けなかったことのほうが、志帆には怖かった。
「たぶん、好きなまま別れたんだと思う」
「過去形?」
「半年かけて、過去形にしたの」
敬人は鍵を握り、少し笑った。
志帆も笑った。
箱の追跡画面には、今も〈配達完了〉と残っている。
確かに荷物は、どこかへ届いていた。
ただ、受け取ってほしかった人と、受け取れる時間の両方から、ほんの一部屋ぶんずれていただけだった。