釣竿一本ぶんの領地
王都を追われたレオニスに与えられたのは、地図の端で青く塗られた川辺と、屋根の半分が落ちた小屋だけだった。
「元宮廷魔術師に、ずいぶんな褒美だ」
自嘲してみたが、返事をする者はいない。川音だけが、役職も罪状も知らぬ顔で流れている。
小屋の隅に、先住者が残した釣竿があった。穂先は折れ、糸は腐り、針には赤錆が浮いていた。レオニスは今日の仕事を一つに決めた。家も畑も後回し。まず、この竿を直す。
柳の細枝を継ぎ、荷紐から丈夫な一本をより分け、火であぶった針を砥石に当てる。王都では千人分の結界を一晩で直した。それに比べれば小さな作業だ。だが、誰にも急かされず、失敗しても処刑台へ送られない修理は、妙に指先へ馴染んだ。
昼過ぎ、川虫を餌にして最初の一投を放った。浮きは流れの境で一度沈み、次の瞬間、竿が弓のようにしなった。
釣れたのは腕ほどもある銀腹の川鱒だった。鑑定魔法を使えば種類も価値も分かっただろう。レオニスは使わなかった。濡れた魚の重さだけで十分だった。
夕暮れ、小屋の前に平たい石を据えた。魚をさばくのも初めてで、腹を裂く刃は二度も骨に当たった。宮廷では肉も魚も銀皿で出され、彼は温度に文句をつける側だった。今は冷たい川水で血を洗い、自分の指についた鱒の匂いさえ誇らしい。
乾いた薪へ火を移し、塩を振った鱒を焼く。脂が炭へ落ちるたび、じゅっと火が鳴った。皮は薄く膨らみ、香ばしい匂いが川風に混じる。湯を沸かした鍋からも白い湯気が立った。
そこへ王都の紋章を付けた伝書鷹が降りた。筒には赤い封蝋。『至急帰還せよ』と、外側にまで書かれている。
レオニスは封を切らず、手紙を石皿の下へ差し込んだ。焼き上がった鱒を裏返すほうが先だった。
箸を入れると、白い身から熱い汁がこぼれた。
腹の奥へ熱が落ちると、崩れた屋根も荒れた畑も、明日から一つずつ直せばよいと思えた。国を守る結界には終わりがなかったが、この一匹には焼き上がりがあり、この一日には夕暮れがある。
「ここでは、俺が決める」
川は何も命じず、ただ静かに流れていた。