鉛筆で消された靴跡

未解決事件の証拠廃棄まで、残り十一分だった。

十五年前、時計店主が刺殺された「梔子通り事件」。犯人のものとされた石膏の靴跡は、地下保管庫の最下段に眠っていた。記録管理係の久慈川真帆は、廃棄確認のため箱を開け、そこで妙な溝を見つけた。踵の中央に、三日月形の欠けがある。

捜査報告書の写真には、その欠けがなかった。

「経年劣化だろう」

背後から声をかけたのは、当時の初動班員で、いまは署長の鷹司宗一だった。退勤したはずなのに、地下まで降りてきている。

真帆は机上の二枚を並べた。事件翌日に撮られた原寸写真と、十年前の再鑑定時の写真。三日月の欠けは、後者にだけある。さらに石膏の底には、鉛筆で「予備」と書かれ、消しゴムで乱暴にこすった跡が残っていた。

「本物はどこですか」

鷹司は答えず、廃棄承認書を指で叩いた。

「あの事件は終わっている。遺族も、街も、警察も、終わらせて生きてきた。君の父親が殉職扱いで昇任できたのも、署が傷を広げなかったからだ」

真帆の父は、捜査中の事故で死んだ。鷹司は葬儀で棺を担いだ男だった。

「犯人の靴跡を、誰のものと入れ替えたんです」

「質問の形をした脅迫はやめろ」

鷹司が箱に手を伸ばす。真帆は蓋を押さえた。石膏の三日月は、当時支給されていた警察用短靴の補修釘と同じ位置にある。つまりこの偽物は、署内の誰かの靴から採られた。隠したかった本物には、もっと直接的な特徴があったのだ。

廃棄端末の画面には、「処分完了」と「保全延長」の二つのボタンが並んでいた。保全を選べば、理由欄は本部監察にも自動送信される。

鷹司が低く言った。

「押せば、君の父親の事故報告も掘り返される」

真帆は初めて、父の死と靴跡が同じ箱に入っていたのだと理解した。

十一分の表示が十に変わる。

真帆は石膏を撮影台に置き、理由欄へ「原証拠との同一性に重大な疑義。現職署長による廃棄介入あり」と入力した。鷹司の手が肩に触れるより先に、保全延長を送信した。