銅貨一枚足りない英雄
迷宮都市の北門で、英雄ゼルガムは金貨を叩きつけた。
「五人分だ。さっさと通せ」
門番は首を横に振った。入域料は一人につき銅貨三十七枚、加えて救助保証金が銀貨二枚。規則により釣り銭は出ない。
〈黒曜の冠〉の財布には、竜討伐の前金でもらった大金貨しかなかった。昨日まで経理担当のラウネが、報酬を用途別に崩し、入域料、宿代、薬代を革袋へ分けていたから、誰も小銭を気にしたことがない。
「中で払う!」
「保証金を払わない方を、中へは入れられません」
両替商へ走った魔術師は、早朝手数料として大金貨の四分の一を取られた。それでも銅貨が一枚足りない。仲間の靴底まで探しているうち、鐘が鳴った。希少魔獣が現れる時刻は過ぎ、討伐権は待機していた別の一団へ移った。
希少魔獣は夜明けの十分間しか巣穴から出ない。次の機会は一月後で、依頼主は前金の返却と違約金まで求めた。大金貨を何枚持っていても、必要な時刻に必要な銅貨へ変わらなければ、一行には何の価値もない。
魔術師は、ラウネが腰に下げていた七つの小袋を思い出した。皆は鈴の音がうるさいと笑っていたが、あれは用途ごとに硬貨の種類を変え、暗闇でも触れば分かるようにしたものだった。
ゼルガムは門を蹴ったが、門番は淡々と言った。
「昨日の会計係なら、出発三日前に必要額を確認していましたよ」
同じ頃、ラウネは新設商会〈青磁の秤〉の遠征隊を送り出していた。銅貨、銀貨、非常用の小粒金貨まで色違いの筒に収め、受領印を一つずつ確認する。
「六隊が一分も止まらなかった」
商会長は彼女へ、雑用係ではなく財務主任の徽章を渡した。
その日の遠征費は予算より銀貨二十枚少なく、それでも薬は一瓶多かった。余った金は隊員の取り分へ戻され、誰も計算を疑わず署名した。ラウネが欲しかったのは、財布を握る権力ではなく、使い道を全員が理解できる会計だった。隊員たちも、予算内で上等な解毒薬が増えたと頭を下げた。
夕方、ゼルガムの使者が駆け込んだ。
「報酬は以前の二倍だ。明朝から戻れ。今度は正式な仲間として扱う」
ラウネは解雇通知の写しを机へ置き、日付と署名を指で示した。
「昨日、その方が署名した時点で、私の契約は終了しています」