鍋が煮えるまで反対します
娘が結婚相手を連れてきた夜、父は卓上鍋の前で宣言した。
「鍋が煮えるまで、私は反対する」
「短いようで長いな」
兄が時計を見た。
父は箸で白菜を沈めながら、第一の反対理由を述べた。
「知り合って八か月。早すぎる」
相手は答えた。
「交際期間は短いですが、収入、借金、子ども、住む場所、介護、離婚した場合のことまで話しました」
「離婚の話をする結婚があるか」
「しないふりをするより、壊れたときの話もしたかったので」
娘が頷いた。
第二の理由。
「料理ができない」
「父さんもできないじゃん」
「私は母さんを選んだからいい」
「その理屈なら、私も料理のできる自分を選んでる」
鍋がぐつぐつ鳴り始めた。
第三の理由。
「こいつは、お前が何を言っても『いいよ』と答える。芯がない」
娘はそこで箸を置いた。
「それ、私も気になってる」
相手の顔が固まった。
「先週、転勤の候補地を勝手に断ったよね。私がこの町を離れたくないと思って」
「嫌がると思った」
「思うだけで決めないで。結婚したら、もっと困る」
父は口を挟まなかった。
相手は長く黙り、頭を下げた。
「ごめん。優しくすることと、先回りすることを間違えた」
「謝るだけじゃなくて、次は聞いて」
「分かった。転勤の話、もう一度一緒に考えてほしい」
娘は「うん」と答えた。
父が火を弱めた。
「まだ煮えてない」
「もう十分煮えてるよ」
兄が白菜を引き上げた。
父は最後の理由を言った。
「娘が遠くへ行くかもしれないのが嫌だ」
誰も笑わなかった。
「それは、この人への反対じゃないでしょう」
娘が静かに言った。
「分かってる。だから最後にした」
父は取り皿へ肉をよそい、相手の前へ置いた。
「賛成はしない」
「はい」
「結婚は、親の採決で決めるものじゃない。ただ、怖いことは言わせろ」
「僕たちも、聞きたくないことまで聞きます」
鍋はすっかり煮えていた。
父は婚姻届の証人になるとは言わなかった。その代わり、翌週の両家顔合わせに着る服を母へ相談し始めた。
反対が消えたわけではない。
けれどそれは、二人を止める壁ではなく、家族が同じ鍋を囲んだまま口にできる心配へ変わっていた。