鍵のない二〇八号室
午前五時十二分、雨宮小夜が夜勤日誌を閉じようとしたとき、フロントの内線が鳴った。
「二〇八号室です。廊下に出たら鍵が開かなくなって。中に五歳の娘が寝ています」
あと十八分で早番へ引き継ぐ。隣の後輩はカードキーの再発行画面を開き、「本人確認できています」と言った。宿泊者名も生年月日も一致している。だが画面上の二〇八号室は〈空室〉で、客は八〇八号室へ移動済みになっていた。
「再発行はまだ。私が一緒に行くね」
小夜は夜間のルームチェンジ履歴を開いた。午前一時、配管音の苦情を受けた八〇二号室の客を八〇八へ移す処理がある。ところが担当者は旧室へ二〇八と入力し、小夜の前にいる客の宿泊情報を八〇八へ動かしていた。実際に移った客の記録は、八〇二に残ったままだ。
新しい鍵だけ渡せば、八〇八号室にも入れる鍵になる可能性があった。
小夜は客の身分証を確認し、防犯カメラで二〇八から出てきた時刻と服装を照合した。客室前では、ドアの内側から小さないびきが聞こえた。警備員を立ち会わせ、非常用の解錠記録へ理由を書いてから扉を開ける。ベッドの端で眠る女の子を見た母親は、声を出さずに肩を落とした。廊下へ戻る前、客は何度も謝ったが、小夜は「締め出された側が謝ることではありません」とだけ答えた。
フロントへ戻ると、小夜は二組の登録を正しい部屋へ戻し、誤って作られた八〇八号室用のキー権限を無効化した。後輩には、名前だけでなく「旧室・新室・移動理由」の三点を読むよう伝えた。
「急いでいると、鍵を作ることが仕事に見えますね」
「入れてはいけない部屋へ入れないことも、同じくらい仕事だよ」
引き継ぎの朝礼で、小夜はルームチェンジ時に二人で旧室と新室を読み上げる手順を提案した。支配人は、以前から声をかけられていたゲストセーフティ担当への社内公募を、もう一度考えてみないかと言った。
小夜は休憩室で、保存したままだった応募フォームを開いた。夜勤を離れるためではない。夜に見つけた穴を、昼の会議へ持っていくためだ。
希望職種の欄へ〈ゲストセーフティ〉と入力し、送信した。