鍵をかけた相談室
灯里は、人に頼るのが下手だ。だから私が代わりに頼ってあげる。
私は匿名相談アカウント「夜の鍵」を運営している。恋人に束縛される、職場で無視される、家族にスマホを見られる。顔も名前も知らない相手の苦しみなら、私は迷わず言葉にできた。
灯里にも同じことをしてきた。彼女宛ての長いメッセージは、傷つくといけないから私が先に読む。返事も私が考える。夜十時には必ず「無事」と送らせ、三分遅れたら合鍵で部屋を確かめる。
「そこまでしなくていいよ」
灯里は何度か笑った。遠慮だと思った。助けを求める人ほど、助けを拒むものだから。
先月、灯里が会社の人と夕食へ行こうとしたときも、私は相手のSNSを調べた。酒癖の悪そうな写真が一枚あったので断らせた。連絡先を消す手伝いをすると、灯里はしばらく黙っていたが、その夜も十時ぴったりに「無事」と送ってきた。感謝は言葉より習慣に表れる。
ある晩、「窓を開けたい」という匿名アカウントが、私の相談室を名指しした。
〈友人が私の連絡先を整理し、外出時間を決め、無事という一語を毎晩要求します。逃げたいと言うと、あなたのためだと泣きます〉
悪質な作り話だった。文章には灯里しか知らないはずの、私たちの部屋のカーテンの色まで書かれていた。私はすぐ通報し、灯里の端末からもそのアカウントをブロックした。
「もう大丈夫。変な人は消したよ」
灯里は、なぜか玄関を見ながら「ありがとう」と言った。その夜だけ、彼女はスマホを枕元ではなく靴箱の上に置いた。
翌朝、ベッドは空だった。衣服も通帳もなく、私が預かっていたはずの身分証まで消えている。机には、古い端末と「夜の鍵」へのログイン履歴が残されていた。
「窓を開けたい」は灯里だった。
私は相談履歴を読み返した。知らない誰かが、駅までの道、警察への話し方、合鍵を返さなくていい理由を答えていた。灯里は最後に〈今夜、出ます〉と書いていた。
私は急いでアカウントを削除した。これ以上、無責任な他人に灯里をそそのかされないために。
削除前の最後の返信は、〈今夜はもう「無事」と送らなくていい〉だった。