門前に引いた一本の白線

「能力なしだ。避難民より先に追い出せ」

王都西門の鑑定官は、黒い石板に何も浮かばないのを見て笑った。

昨日まで会社員だった真壁透は、召喚された翌朝には城を放り出され、今日から門外の荷運びを命じられていた。異世界に来た理由も、帰る方法も分からない。分かるのは、石板が彼を役立たずと決めたことだけだった。

そのとき、街道の向こうで鐘が三度鳴った。

ゴブリンの群れだった。粗末な棍棒を振り回すだけの低級魔物。それでも百を超えれば、門前に並ぶ避難民を踏み潰すには十分だ。門兵は扉を閉めようとし、外にいた老人や子どもが悲鳴を上げた。列の最後では、片足の悪い老人が転び、幼い姉弟がその腕を必死に引いている。

「荷運び、お前も外だ。せめて盾になれ」

先ほどの鑑定官が、透を押し出した。

透は地面に落ちていた白墨を拾った。会社では、責任の境界が曖昧な案件ほど炎上した。だから彼は、会議の最初に必ず線を引いた。

避難民を背にして、街道を横切る一本の線を描く。

「この内側は、俺が守る」

透はそこで初めて《国境制定》を使った。

白線が、地平線まで光った。

先頭のゴブリンが線を踏んだ瞬間、音も血もなく消えた。続く一体も、その後ろも、まるで最初から地図の外にいたかのように消失する。丘の上で群れを操っていたオーガの呪術師まで輪郭を失い、百を超えた足音は一呼吸で途絶えた。

門楼に据えられた領土測定晶が甲高く鳴り、縦に割れた。王国全土の境界を測れる国宝が、たった一本の白線を測れなかったのだ。

視察中だった王国地理院総裁が、馬車の中から立ち上がった。

「今の領域は、誰の許可で成立した」

「彼自身の許可です」

震える門兵が答える。

閉じかけていた大門が、今度は透を迎えるために開いた。さっきまで盾にしようとしていた兵たちが左右へ退き、避難民が道を空ける。

鑑定官だけが座り込む中、門前の全員が、白線のこちら側にいる男を守られる者ではなく、国境を決める者として見ていた。