雀はパン屑を数える

妻を亡くしてから、老人は朝食を食べなくなった。

一人分のパンを焼くと、台所の広さばかり目につく。代わりに窓辺へパン屑を置き、雀がついばむのを眺めた。

商店街の補聴器店でもらった翻訳耳栓には、妙な注意書きがあった。

「掌にパン屑が一つ残っている間だけ、雀の言葉が聞こえます」

試しに庭へ出る。

数羽が寄ってきた。

「遅い」

「白い人、前は二人」

「窓、今日は閉じてる」

白い人とは自分のことらしい。

妻は毎朝、パンの端を細かくちぎって庭へまいた。

老人は、雀が妻を覚えていることに胸をつかまれた。

「もう一人は、どこへ行った」

尋ねると、雀は答えず、屑を奪い合った。

最後の一つが掌から消え、声もただのさえずりに戻る。

翌朝、老人はパンを多めに焼いた。

聞きたいことが山ほどあった。

妻は雀に何を話したのか。

最後の朝も庭へ来たのか。

自分を置いていくのが怖くなかったのか。

掌に一つ残して、耳を澄ます。

「白い人、食べない」

「前の人、怒る」

「大きい皿、空」

雀が見ていたのは妻の心ではなく、窓辺の日々だった。

老人が食事を抜くたび、空の皿を見ていたらしい。

「妻は、私を心配してたか」

「前の人、あなたの屑、大きくした」

「何だそれ」

「歯、弱いと思ってた」

老人は笑った。

妻は最後まで、彼を老人扱いしていたのだろう。

そこへ孫娘が訪ねてきた。

学校へ行けず、母親と喧嘩して家を出たという。

老人は事情を聞こうとしたが、雀が鳴いた。

「小さい人、朝の匂いない」

孫娘も朝食を食べていないらしい。

老人は翻訳耳栓を外し、パンを二枚焼いた。

雀へやる分をちぎりすぎ、二人の皿は不格好になった。

孫娘は一口食べ、

「おばあちゃんのより固い」

と言った。

「歯は丈夫だ」

老人が返すと、初めて少し笑った。

その後、孫娘はしばらく老人の家から学校へ通った。

毎朝、食卓で話す日も、黙る日もあった。

雀は窓の外で待った。

翻訳耳栓はやがて片方なくした。

それでも老人は、掌に一つだけパン屑を残す。

雀の声を聞くためではない。

自分と孫娘の皿が空でないことを確かめてから、庭へ渡すためだった。