雨の膜を回す
依緒が新居で最初に洗うことになったのは、まだ一度も窓に掛けていないカーテンだった。
古道具店で買った生成りの布には、知らない部屋の匂いが残っていた。乾いた木と、古い香水と、長く閉めた押し入れの匂い。部屋で洗うには大きすぎて、午前一時すぎ、雨の中をコインランドリーまで運んだ。
店内の蛍光灯は、夜中にもかかわらず朝のように白い。空調は一定の低さで鳴り、四台の洗濯機のうち二台が回っていた。丸い窓の向こうで、紺色のシーツと黄色いタオルが、寄っては離れ、また寄っていた。
依緒はカーテンを押し込み、硬貨を入れた。
給水音。少し遅れて回転。布が重く持ち上がり、落ちる。
ざぶん。
雨が窓を打つ。
ざあ。
空調が息を吐く。
ごう。
同じ音を聞いているうちに、何も置いていない新居のことを思った。冷蔵庫のうなりも、上の階の足音も、まだ自分の生活に馴染んでいない。鍵を回すたび、誰かの部屋へ間違って入るような気がする。
入口のベルが鳴った。
透明な傘をたたんだ人が、紺色のシーツの乾燥機を開けた。顔はフードの陰で見えない。熱い布を腕いっぱいに抱え、黄色いタオルを一枚落としかけ、抱え直す。ほんの十秒ほどで、その人は雨の中へ戻っていった。
乾燥機の丸い窓だけが空になった。けれど扉の内側には、手のひらの曇りがしばらく残った。あの紺色のシーツも、どこかの窓の内側へ戻り、今夜の雨を遮るのだろう。
洗い上がったカーテンを乾燥機へ移す。回り始めると、布は大きく広がり、店の白い光を一度ずつ隠した。
明るい。暗い。明るい。暗い。
依緒は椅子に座り、雨の膜越しにその明滅を見た。スマートフォンの地図には新居を示す青い点があり、ここから七分と表示されている。帰る場所としては近いのに、まだ名前のない距離だった。
帰宅して、まだ少し温かいカーテンを窓に掛けた。街灯の光が布を通ってやわらかくなる。部屋は相変わらず空っぽだったが、夜がそのまま入り込んでくることはなくなった。
今夜は、この薄い一枚の内側で眠ればよかった。