零時零分の耳鳴り
零時ちょうど、鳴神律の音楽アプリに、検索した覚えのない曲が現れた。
再生ボタンの代わりに、耳の形をした白いアイコンが脈打っている。昼間は何度開いても「地域外」と表示されたのに、暖房をつけた深夜だけロックが外れた。曲名は〈WAKE〉。歌い手も作曲者も空欄だった。
「まだ起きてる?」
イントロに混じった少年の声で、律は指を止めた。十年前、火事で死んだ弟の声に似ていた。弟は夜更かしする律の部屋を覗き、同じ言葉を言っていた。律だけが二階の窓から助かり、弟は階段で見つかった。以来、煙探知器の短い警告音を聞くと、左耳に細い耳鳴りが走る。
Aメロは、その耳鳴りと同じ高音を軸に進んだ。四拍ごとに、かすかな咳。ベースは暖房機の唸りに重なり、部屋の空気そのものが伴奏へ入ってくる。再生画面の波形は、曲のデータではなく、律のマイク入力に合わせて刻々と形を変えていた。
「まだ起きてる?」
二度目の声は近かった。律は弟が戻ったのだと思い、イヤホンを深く押し込んだ。サビで合成音声が跳ね上がり、あの夜に言えなかった「先に逃げてごめん」が喉からこぼれた。すると音程バーの下に、見慣れない数値が赤く点滅した。
〈CO 312 ppm〉
〈換気推奨〉
律は笑った。幽霊が環境測定などするはずがない。ところが立ち上がろうとした瞬間、床が傾いた。暖房機の排気口は雪で塞がれ、窓の隙間には目張りがしてある。昼間は再生できず、深夜だけ曲が開く理由は、時刻ではなかった。部屋の一酸化炭素濃度と、スマートフォンが検知した覚醒低下が条件だった。
最後の一音が途切れ、曲の説明欄に文字が現れた。
〈家族音声による緊急覚醒モード〉
〈登録音源:家族の留守番電話〉
弟は死後に曲を送ったのではない。律が防災アプリへ残していた古い声が、警報を無視する彼を起こすため、咳と耳鳴りをダークポップへ組み替えたのだ。
律は這って窓を割った。冷気が流れ込み、意識が戻る。
スマートフォンは、もう歌ではなく救急通報の声で尋ねた。
「まだ起きてる?」
それは夜更かしをからかう言葉でも、死者からの挨拶でもなかった。今ここで生きているかを確かめる、最後の呼びかけだった。