零点四秒の発火

片瀬航平が試験室から呼び戻されたのは、量産承認会議が始まる五分前だった。入社二年目の彼に与えられた役目は、電気自動車用電池の安全試験報告書を配ることだけである。

報告書には「異常発熱なし」とあった。百二十個のセルはすべて合格。取引先の役員は年間八十億円の発注書を開き、片瀬の上司、滝本部長は会社印のケースを机へ置いた。

片瀬は、四十八・四秒という数字から目を離せなかった。

前夜、彼が担当した釘刺し試験では、セルB17の温度が四十八・四秒で百二十四・六度へ跳ね上がり、零点四秒後に発火した。ところが会議用グラフは四十八・八秒から始まり、発火後のデータを「測定器再起動」として切り捨てている。

「センサーの瞬断だ」と滝本は言った。「再試験は通った」

片瀬は原始ログを表示した。測定器は一秒ごとに署名付きの記録を吐き出し、途中の一行を消すと連鎖番号が途切れる。会議用ファイルでは、四十八・四秒の行だけが欠け、次の行の連鎖番号が二つ進んでいた。

滝本は、若手の扱うコピーでは証拠にならないと笑った。

片瀬はもう一枚、試験室の電源遮断記録を置いた。再試験が行われたとする午後十時十三分、試験棟は保守のため停電していた。承認者の電子署名は午後十時九分。存在しない再試験より四分早い。

取引先役員が発注書から万年筆を離した。滝本は会社印を手にしたまま、「取引が消えれば、お前の部署も消える」と囁いた。

片瀬はB17の焼けた端子を透明袋ごと机に置いた。

「消したのは部署ではなく、零点四秒です」

片瀬は、B17と同じ製造ロットがすでに三百台分、組立工場へ送られた一覧も示した。滝本は試作セルだから量産品と無関係だと言ったが、出荷票には量産承認待ちの印があり、承認番号は会議中の発注書と同じだった。ここで印が落ちれば、欠陥セルは試作品ではなく商品になる。

取引先の品質責任者が発注書を閉じ、承認欄へ貼られていた付箋を剥がした。八十億円の決裁印は、朱肉の手前で止まった。