雷鳴は夜九時まで
古い木造アパートの二〇三号室に、雷神ゴロザネが越してきた。職業欄には「気象関係」と書いた。嘘ではない。
入居三日目、郵便受けに紙が入っていた。
『二〇三号室様
昨夜二時十七分、ものすごい音がしました。夜間はお静かに願います。管理人』
ゴロザネは裏に返事を書いた。
『申し訳ない。くしゃみです』
翌朝、また紙が来た。
『くしゃみで窓ガラスが震える方は、耳鼻科をご受診ください』
雷神は反省した。以後、鼻がむずむずすると布団を六枚かぶり、鍋を頭に載せて耐えた。ところが今度は、体内にたまった雷気が家電へ逃げた。冷蔵庫が神託を告げ、炊飯器が勝手に三合炊き、隣室の電動歯ブラシが夜通し踊った。
苦情は増えた。
『洗濯物を取り込むたび、靴下が青白く光ります』
『テレビの天気予報があなたの部屋だけを「局地的に荒天」と表示します』
『共用廊下で静電気により猫が二倍に膨らみました』
管理人に呼び出されたゴロザネは、敷金を握りしめた。
「追い出すのか」
「いえ、防音工事は高いので、運用で解決します」
管理人が差し出したのは町内会の回覧板だった。そこには太字で『雷鳴可能時間 午前八時から午後九時まで』とある。
「そんな規則でよいのか」
「一〇一号室は朝六時から尺八、三〇二号室は日曜に太鼓。皆、多少は事情があります」
「神の雷を、楽器と同列に」
「家賃は皆同額です」
その日からゴロザネは、毎晩八時五十分にベランダへ出て、たまった雷を十秒だけ空へ放った。住人たちは時計代わりにした。子どもは「雷のおじさん、今日は弱い」と評価し、管理人は盆踊りの照明を頼み、猫は先に毛を逆立てて待った。
ある夜、仕事で帰宅が遅れ、九時を三分過ぎた。ゴロザネは雷をこらえ、顔を紫にしていた。すると廊下から管理人の声がした。
「今日は町内会の臨時承認が出ました。五分だけどうぞ」
「なぜだ」
「商店街の看板が停電したんです。ついでに点けてください」
ゴロザネは小さく笑い、指を鳴らした。夜空が光り、看板も、廊下の切れかけた蛍光灯も一斉に点いた。
翌朝の郵便受けには、苦情ではなく一枚の紙が入っていた。
『助かりました。ただし次回から電気代は相談しましょう』
雷神は、庶民の世界では奇跡にも割り勘があることを知った。