電話の向こうの一円
夜勤が始まって四十分、鷲津みさ緒の画面に海外発信の電話が入った。
「一円ずつ、何度も盗られています。財布もありません」
声は早口で、背後では空港の案内放送が響いていた。乗り継ぎまで二十分。携帯電話の残量は三パーセントだという。
みさ緒はまず本人確認を一問ずつに分けた。焦った客に長い説明を重ねれば、聞き間違いが増える。確認が済むと、カードに利用停止をかけた。
画面には一円の記録が七件並んでいた。だが、確定した請求ではない。ホテルや配車サービスが有効なカードか確かめるオーソリだった。問題はその下にある四万二千円のタクシー代だった。客が財布をなくしたと話す一時間後に、隣町で読み取られている。
「一円のほうではなく、こちらを調べます」
みさ緒は全件を不正利用としてまとめなかった。そうすれば、ホテルの保証金まで取り消され、客は出国前に宿泊費を再精算することになる。怪しい一件だけを申告に回し、スマートフォンに残る電子カードは再発行まで使えるよう手順を組み替えた。
客は息を整え、搭乗口までの道を尋ねるような声で言った。
「じゃあ、今夜寝る場所はなくならないんですね」
「なくなりません。紙に控える番号を今から二つだけお伝えします」
手続きの途中、みさ緒は財布に入っていたほかのカードと、現地で受け取れる緊急連絡先も確認した。紛失そのものは一件でも、止める順番を誤れば、空港で身動きが取れなくなる。客がメモを取れないと分かると、案内を短い二項目に削り、同じ内容を登録メールへ送った。
復唱が終わった瞬間、電話は電池切れで落ちた。みさ緒は切断時刻と案内内容を記録し、空港内の再連絡先も残した。数分後、現地提携窓口から、本人が無事に手続きを終えたとの通知が届いた。
端末には、今回の判断を朝番が追えるよう、確定前の一円と実際の利用を分けて残した。
みさ緒がヘッドセットを外す前に、次の着信ランプが点いた。
今度は国内の高齢者からだった。
「明細に、覚えのない一円があるんですが」
みさ緒は同じ答えを急がず、最初の質問をした。