青いコートの女

 わたしには、近づいてはいけない女の人がいる。

 青いコートを着て、わたしを昔の名前で呼ぶ人だ。パパは「あれは子どもをさらう病気の女だ」と言った。わたしの誕生日や好きな食べ物を知っていても信じてはいけない。悪い人ほど、先に調べてくるからだ。

 もし家へ入ってきたら、台所のいちばん下にある赤い柄の包丁を使いなさい、と教えられていた。

 火曜日、学校から帰ると、その人が玄関の中に立っていた。

 青いコートは雨で濡れ、手には古い鍵があった。

「会いたかった」

 女の人は泣きながら、パパが使わない名前でわたしを呼んだ。

「その名前じゃない」

「六歳まで、その名前だったのよ」

 女の人は鞄から写真を出した。赤ちゃんのわたしを抱いている。写真の裏には、知らない名字と、今のわたしの誕生日が書かれていた。

 次に見せた紙には、家庭裁判所という文字があった。

「お父さんが、面会の日にあなたを連れて逃げたの。ずっと捜していた」

 パパの言ったとおりだった。

 悪い人は、本物らしい話をたくさん用意する。

 女の人がしゃがみ、両手を広げた。

「もう大丈夫。一緒に帰ろう」

 わたしは台所へ走った。

 包丁を持って戻ると、女の人は逃げずに、「そんなもの置いて」と一歩近づいた。

 だから、教えられたとおり胸を刺した。

 女の人は床へ倒れた。青いコートの下から、わたしと同じ形の痣がある腕が見えた。

 パパは予定より早く帰ってきた。

 女の人を見ると驚いたあと、わたしを強く抱き締めた。

「よく家を守った。パパはその時間、会社にいた。知らない女が勝手に入ってきたんだ」

 パパは写真と裁判所の紙をストーブで燃やした。

 古い鍵だけは何度も確かめてから、女の人の鞄へ戻した。

 警察が来るまで、何を話すか練習した。

「この人を知ってる?」

「知りません」

「名前を呼ばれた?」

「わたしの名前じゃありません」

「どうして刺したの?」

「パパに、悪い人から家を守るよう言われました」

 上手に言えると、パパは笑った。

「これで、もう誰も君を取り返しに来ないよ」

 警察の人が女の人の財布を調べた。

 身分証の写真を見て、パパを振り返った。

「この方、あなたの元奥さんですね」

 パパはわたしの肩へ手を置いたまま答えた。

「娘には、そう思い込んで近づいたようです」