鴨料理を下げた晩餐
王城の晩餐会で、アイラの前に香草詰めの鴨が置かれた。
胸の奥がきゅっと縮む。鴨肉を食べると、昔からひどい蕁麻疹が出る。だが北方騎士団の功績を祝う席で、書記官の自分だけ料理を替えてほしいとは言えなかった。
向かいでは騎士団長ディートリヒが、褒賞を求める貴族を無言で見返していた。戦場では必要な命令しか口にせず、部下が泣いても表情一つ変えない男だ。
アイラがナイフへ手を伸ばした瞬間、銀の手甲が皿を遠ざけた。
「下げろ」
給仕が固まる。
「団長閣下、祝いの主菜でございます」
ディートリヒは答えず、鴨とアイラを一度ずつ見た。
「彼女は食べない」
一年前、遠征中の宿でアイラが鴨のスープを残したことがある。理由を聞かれ、「少し体に合わなくて」と答えただけだった。
代わりに運ばれたのは、塩で焼いた白身魚と、酸味の強い木苺のソース。アイラが好きだと言った味まで覚えていた。
「ありがとうございます」
彼は短く頷き、自分の皿へは一度も手をつけなかった。彼女の料理が届くまで待っていたのだと、そこで気づく。
宴の終盤、王弟が立ち上がった。
「功績への褒美として、アイラ嬢を騎士団長の婚約者に定めたい。遠征記録を支えた者同士、異論はあるまい」
拍手が起きかけた。
アイラは息を吸う。
「私は、まだお受けすると決めていません」
王弟の眉が動いた。
「団長に望まれて不満があるのか」
「そうではありません。ただ、今ここで決められるのは嫌です」
全員の視線がディートリヒへ集まる。彼なら命令一つで従わせられる、と誰もが思っていた。
彼は婚約書を取り、アイラの署名欄を手で覆った。
「未定だ」
「国家の決定だぞ」と王弟が言う。
ディートリヒはアイラへだけ問いかけた。
「帰るか」
「はい」
彼は立ち上がり、王弟の前で婚約書を閉じた。
「馬車を出せ。彼女の返事がない話を、決定事項として扱うな」