黄色い傘の帰る場所

一日だけの外出許可が出た午後、宮前千紘は病棟のロッカーから黄色い傘を取り出した。空は乾いた青で、降水確率は零%だった。

その傘は三か月前、駅裏のパン屋で借りたものだ。診察の帰りに急な雨へ追われ、軒下で立ち尽くしていた千紘へ、店主が「次に来たときでいいから」と差し出した。次に来たとき、という言葉が、思ったより遠くなった。

傘の骨は一本だけ曲がっていた。借りた時からだったのか、自分が電車で挟んだのか分からない。病室でこっそりペンチを使い、黄色い布の小さな裂け目には透明な補修シートを貼った。きれいには見えないが、閉じれば気づかない程度になった。

病院から店までは徒歩十五分。千紘は五分ごとに立ち止まった。傘を杖にするのは失礼な気がして、腕に抱えたまま、商店街のタイルを数えた。途中でスマートフォンが震え、姉から「無理なら私が返す」と届いた。既読だけつけた。

パン屋の前には、塩パンの焼ける匂いが漂っていた。店内には二組の客がいて、店主はレジで袋を折っている。千紘の顔を見ても、すぐには思い出さなかった。

「これ、前に借りた傘です」

差し出すと、店主は黄色い柄を眺め、それから外の空を見た。

「今日は降らないよ」

「返す日なので」

店主は笑う代わりに、補修シートの上を親指で一度なぞった。「直したの」と聞かれ、千紘はうなずいた。

パンを勧められたが、今日の用事は傘を返すことだけに決めていた。何かを足すと、この午後まで特別な記念品になってしまいそうだった。

壁の時計は二時十八分。帰りのタクシーを呼ぶまで、まだ十二分ある。千紘は入口のマットについた小麦粉を靴底で踏まないよう避け、傘の留め具をもう一度巻き直した。借りた日には急いでいて、きちんと畳む余裕さえなかった。

店主がレジ横の傘立てを引き寄せる。千紘は持ち手についた病院の荷札を外し、ポケットへしまってから、自分で入れた。黄色い柄が、透明傘と紺色の傘の間で、まっすぐ止まった。