黄色い線の内側
日高真澄が終電一本前のホームへ下りると、ベージュのコートの女性が隣に並んだ。空いているのに近すぎる、と真澄が半歩ずれたところで、女性は前を向いたまま言った。
「知り合いのふりをしてもらえますか」
ガラスに映る階段口に、紺色の帽子の男がいた。女性が移動すると男も動く。三つ前の駅からだという。
真澄は面倒ごとを避けるのが得意だった。会社で怒鳴られている後輩をかばったとき、事情も知らないのに口を出すなと言われてから、他人の問題には境界線を引いている。
「次の電車に乗って、車掌さんの近くへ行きましょう」
「それだと、また別の人についていくだけです」
女性は逃げたいのではなく、記録を残したかった。真澄はまず安全だと思い、女性は次をなくすことが安全だと思っている。どちらも相手の考えにうなずかなかった。
女性は、男が同じ車両へ二度乗り換え、階段では進路を塞ぐように前へ出たと説明した。真澄は帽子の形、上着の色、靴の白い線を一つずつ聞き直した。怖がっている人に質問を重ねるのは冷たい気もしたが、知り合いのふりより、目撃者になるほうが役に立つ。女性も、慰めより時刻を覚えてほしいと言った。
二人は柱を背にし、線路と男を同時に見られる位置へ移った。真澄は会社のチャットを開き、帰宅が遅れるとだけ送った。理由は書かなかった。女性も誰かへ助けを求める文面を作りかけ、消した。今は二人で呼出装置まで行く。それ以上の約束はしなかった。
電車の接近音が鳴った。女性はスマートフォンを録画に切り替えたが、大きなトートが揺れて画面がぶれた。
「荷物、持ちます」
真澄は返事を待たず、持ち手ではなく底を支えた。女性は両手で端末を構え、二人はホーム中央の通話装置へ歩いた。男も数歩ついてきたが、真澄が駅員呼出のボタンを押すと足を止めた。
「三駅前からです。映像があります」
女性が告げる間、真澄はトートを抱えたまま男の帽子と靴を覚えた。電車が入り、ドアが開く。乗れば帰れる。女性は画面から目を離さず、真澄は呼出装置のランプを見ていた。
発車ベルが鳴り、ドアが閉まった。
二人とも、走らなかった。