黒い箱は焼きたて
閉店五分前のパン店《麦の王冠》へ、黒いコートの男が入ってきた。
「予約した黒い箱を受け取りに来た」
レジに立つ真砂江伊吹は、パン職人ではない。県警組織犯罪対策課の刑事である。この店で今夜、紫垣ファミリーの受け渡しがあるとの情報を得て、店員に化けていた。
「お名前を」
「ドメニコ・紫垣。中身は触るな。形が崩れる」
「壊れやすい品ですか」
「熱にも弱い。だが少し冷やせば締まる」
伊吹は密輸薬物を疑った。
その会話を、レジ下へ潜り込んでいた泥棒の雨包すずが聞いていた。閉店後に売上金を盗むつもりだったが、黒い箱のほうが高価そうだ。
すずは店員の帽子を拾って立ち上がった。
「黒い箱なら、私が奥から持ってきます」
ドメニコが目を細める。
「合言葉は?」
「えっ」
「表面は黒、内側は白。切れば赤いものが出る」
すずは陳列棚を見回した。
「……焦げたあんパン?」
「違う」
伊吹が割り込む。
「中身を確認させてもらいます」
「警察でもないのに?」
「食品衛生上の検査です」
「拳銃を腰に下げるパン屋がいるか」
「防犯用の、よく飛ぶ温度計です」
すずも負けじと口を挟んだ。
「私が確認します。鍵開けは得意です」
「パン屋が?」
「固い瓶のふたも開けます」
三人は互いに一歩ずつ距離を取った。
ドメニコが低く言う。
「ボスは今夜、これを待っている。遅れれば全員ただでは済まない」
伊吹は手錠へ指をかけた。
「ボスの居場所も聞かせてもらいましょう」
すずは出口を見た。
「私は関係ないです。たまたまレジの下で休憩していただけで」
「十分関係ある」
そのとき奥の扉が開き、本物の店主が大きな箱を抱えて現れた。
「お待たせしました。紫垣組長の六十歳を祝う、黒ごま苺ケーキです」
箱のふたには、砂糖で『お父さん、還暦おめでとう』と書かれていた。
伊吹は手錠を下ろした。ドメニコは咳払いした。
すずだけが、レジ下から盗んだクリームパンを背中へ隠した。
「では次に、その白い箱を調べようか」
伊吹が言った。
「これは今、食べるところでした」
「会計前だ」
最後に捕まったのは、いちばん小さな泥棒だった。