黒蝋の契約書

黒い封蝋から、焦げた鉄の匂いがした。

「仲間を疑うのか?」

円卓の向こうで、銀狼団長バルガスが笑う。右手には狼頭の印章。前の人生と同じ台詞、同じ小道具、同じ午後だった。

戦術士ユーディンは、その契約書に署名した三年後、団の補給金横領をすべて押しつけられた。弁明の場すら与えられず、囮として竜の巣へ送られた。最後に見たのは、崖の上から手を振る仲間たちだった。

そして目を開けると、羽根筆が指の間に戻っていた。

契約の内容も、一字一句覚えている。表には「利益も危険も平等に分かち合う」とある。だが紙を火に透かせば、裏側に呪文で隠された一行が浮かぶ。

――団長は、構成員の財産および罪過を任意に引き受けさせられる。

前回は、友情を疑った自分を恥じて読み飛ばした。今なら分かる。斥候は窓ばかり見ている。僧侶は祈りの代わりに退団届を袖へ隠している。全員が知っていたのだ。知らないふりをしていたのは、自分だけだった。

「疑ってはいない」

ユーディンは羽根筆を置いた。

バルガスの口角が上がる。

「なら署名を――」

「確信している。お前が裏切ると」

室内の空気が凍った。ユーディンは燭台の火を契約書の裏へ近づける。青白い文字が紙面を這い、隠し条項を露わにした。

同席していたギルド監査官が椅子を蹴って立つ。契約書を登録台へ載せると、紙の下に隠されていた作成履歴まで赤く浮かんだ。作成者はバルガス、修正日は昨日。言い逃れの余地はない。

「団長権限による罪過転嫁……禁呪契約だ。印章を押せば、作成者にも反動が返るぞ」

バルガスが黒蝋を握り潰し、扉へ走る。しかし取っ手に触れる前に、床から拘束鎖が伸びた。監査官は淡々と告げた。

「逃亡の意思を確認。銀狼団は本日付で資格停止だ」

前の人生なら、この直後、ユーディンの腕には服従の狼印が焼きついた。

だが今、手首は何もないまま温かい。

代わりに卓上の冒険者証が鳴った。

《特級隊〈暁角〉より、戦術士ユーディンへ正式加入依頼》

一度も届かなかった金色の通知だった。