『午前八時十二分の投書』
朝礼のスクリーンに〈匿名通報・整備記録の改竄〉と出た瞬間、斑鳩遼子は昇進者の列から外された。
工場長の矢作惣一は、通報に添付された点検表を拡大した。月曜八時十二分、危険判定が「要停止」から「異常なし」へ変わっている。編集者は斑鳩のアカウントだった。
「班長になる人間が、安全より納期を選んだ。残念だよ」
三十人の前で、矢作は穏やかに言った。
斑鳩は弁明せず、総務の宇佐見環へ頼んだ。
「通報の原本を、添付名まで見せてください」
ファイル名は〈管理者画面_案件0041.png〉。匿名窓口の一般利用者には表示されない名称だった。矢作は、通報者が管理部門の人間なのだろうと言った。
宇佐見が窓口の操作履歴を開く。添付画像は八時十五分、工場長室の固定端末から登録されていた。その三分前、斑鳩のパスワードが同じ端末で再発行されている。
「私はその時、洗浄室です」
斑鳩が社員証の入退室記録を示した。八時から八時二十七分まで滞在。洗浄室には端末も私物持込みもない。矢作は「誰かがカードを借りたのかも」と笑った。
だが、点検表の版履歴にはもう一つ残っていた。七時五十八分、斑鳩は「要停止」と入力し、矢作をCCにして設備停止を申請している。八時十二分に書き換えた端末は工場長室。さらに矢作は八時十四分、納期遅延の説明メールへ〈現場判断で異常なし〉と記していた。
匿名通報は、不正を知らせるためではない。自分の書換えを斑鳩の仕業に見せるための先回りだった。
宇佐見は朝礼台の昇進名簿を修正した。
「斑鳩さんの班長昇進は予定どおりです。矢作工場長には、ただいまから端末と職務権限を返していただきます」
宇佐見は証拠保全を宣言し、矢作の端末を遠隔ロックした。人事フォルダには、斑鳩の昇進枠へ自分の甥を移す下書きまで残っていた。朝礼の列にいた社員たちは、事故の責任と一つの席が、同じ偽装で動かされていたことを知った。矢作が発言しようとすると、マイクの権限も総務へ切り替わった。
拍手は起きなかった。ただ、斑鳩の名前だけが列へ戻った。