『最終版という名の嘘』
最終面接の机には、応募者の履歴書より分厚い調査報告書が置かれていた。
「前職では、退職時に顧客名簿を持ち出したそうですね」
人事部長が報告書を指で叩いた。応募者は否定せず、膝の上の拳を握った。
「持ち出していません。ただ、そう記録されたことは知っています」
同席した若い採用担当がノートパソコンを開いた。先月辞めた前任者が、引継ぎフォルダに一つだけ残したファイルがあるという。名前は「最終版_使用禁止.xlsx」。人事部長は鼻で笑った。
「退職者の私物でしょう。選考に使うものではない」
「でも、応募者の前職から届いた照会メールが保存されています」
画面には、顧客名簿流出を知らせるメールが表示された。送信者は前職の管理職。ところが、そのメールに添付された調査報告書の作成日時は、応募者が退職した翌月になっていた。
人事部長は即座に言った。
「後から正式版を作っただけだ」
若い担当は隠しシートを開いた。前任者は、照会を受けた日の共有フォルダのアクセス履歴を貼りつけていた。報告書を最初に閲覧したのは、応募者の前職ではない。この会社の人事部長のアカウントだった。しかも照会メールが届く二日前。
会議室の空調音だけが残った。
「以前から両社で情報交換していた」と人事部長は言い直した。
「その説明も想定されていました」
担当が次に示したのは、前任者から監査役へ送られたメールだった。CCには人事部長自身が入っている。本文は短い。
――採用を断りたい人物について、先方に不正記録を作らせる運用を中止してください。
人事部長は「知らないメールだ」と言った。担当は送信後の開封記録を示した。人事部長は三分後に開き、添付を保存していた。
応募者が初めて顔を上げた。
「なぜ、私を落としたかったんですか」
人事部長は答えなかった。応募者が前職で通報した粉飾案件に、この会社の取締役が関わっていたことを、部屋の全員が悟っていた。
監査役が報告書を閉じた。
「不採用予定は撤回します」
人事部長が安堵しかけた、その直後だった。
「撤回するのは、この応募者ではなく、あなたの面接官資格です」
若い担当が採用通知の画面で、承認ボタンを押した。