お悔やみはまだ早い
須賀谷真弓が夕食の支度をしていると、黒いスーツの男が訪ねてきた。
「ご主人と同じ部署の者です。このたびは、心よりお悔やみを」
真弓は包丁を持ったまま固まった。
「夫は出張中ですが」
男は一瞬だけ目を泳がせた。
「申し訳ありません。別のお宅と間違えました」
帰ると思ったが、男は名刺を差し出し、「せっかくなので、ご主人へ資料を預けたい」と言った。夫の会社名は合っている。真弓は玄関先で待たせ、書類を受け取った。
男は家の奥を気にしながら尋ねた。
「ご主人の仕事用パソコンは、ご自宅ですか」
「持って出ています」
「外付けの保存装置などは?」
「知りません」
「車載カメラの映像は、自動で家の機器へ送られますか」
仕事内容に関係のない質問ばかりだった。
「何かあったんですか」
「いえ。海沿いの旧道は電波が弱いので、確認しただけです」
夫がどの道を走るか、真弓も知らなかった。
男はまた深く頭を下げた。
「早すぎるご挨拶でした」
門を出たのを見届け、真弓は鍵を掛けた。
十分後、警察から電話が来た。
夫の車が海沿いの旧道で崖下へ転落し、本人とみられる遺体が見つかったという。死亡推定時刻は、男が呼び鈴を押した時刻より後だった。
真弓は震えながら、渡された名刺の会社へ電話した。
その名前の社員はいなかった。
夫のクラウドに、新しい音声ファイルが自動保存されていた。
再生すると、車内で男二人が争っている。
『原本はどこだ』
『家族には関係ない』
『なら、家を捜す』
次に聞こえた声は、さっきの訪問者のものだった。
『奥さんと娘さん、今日は家にいるんだろう』
金属音のあと、録音は途切れた。
真弓は警察へ再び電話しながら、玄関カメラの映像を確認した。
男は門を出ていなかった。
玄関脇の死角へ入り、そのまま画面から消えている。
廊下の天井で、収納梯子がわずかに軋んだ。
真弓のスマートフォンへ、夫の番号からメッセージが届いた。
〈パソコンはどこですか〉
直後、頭上で通知音が鳴った。