からくないふり

 転校生のマリクが弁当のふたを開けた瞬間、教室が知らない匂いになった。

「うわ、からそう」

「毎日それ食べるの?」

 悪気のない声ほど、よく響く。

 マリクは笑ってふたを閉じた。私は自分の弁当を見下ろした。冷凍コロッケ、袋のままのゼリー、白いご飯。母は夜勤明けで作るから、「地味でごめん」と毎朝言う。

 私は派手な弁当を恥ずかしがるマリクと、地味な弁当を恥ずかしがる私が、少し似ている気がした。

 昼休み、マリクは非常階段にいた。

「ここ、先生に怒られるよ」

 彼は困った顔で、自分の弁当を指さした。

「におい、だめ」

「私のは、においもしない」

 そう言って隣に座ると、マリクは初めて声を立てて笑った。

 彼は香辛料のついたじゃがいもを一つ、私のふたへ載せた。私は冷凍コロッケを返した。

「からい?」

「からくないふりならできる」

 一口食べると本当に辛くて、涙と鼻水が出た。マリクは腹を抱えて笑い、水筒を貸してくれた。

 それから毎日、一品だけ交換した。言葉が通じないときは、ふたの裏へ絵を描いた。丸い顔なら「おいしい」。炎なら「からい」。星が三つなら「また食べたい」。

 ある朝、母が弁当を渡しながら言った。

「最近、箱が香辛料の匂いするね」

 怒られると思った。

「友達と交換してる」

「じゃあ足りないでしょう」

 その日の弁当には、卵焼きもコロッケも二つずつ入っていた。母は夜勤から帰った赤い目で、「からくないものばっかりだけど」と笑った。

 学期の終わり、マリクはまた転校することになった。最後の日、彼の弁当箱は空だった。引っ越しで鍋も皿も箱に入れてしまったらしい。

 私は二つずつのおかずを、半分移した。

「今日、私の匂いしかしないね」

 マリクは首を振り、鞄から小さな紙包みを出した。家で使っていた香辛料だった。

 白いご飯へ少し振ると、非常階段がいつもの匂いになった。

 別れ際、彼は私のふたの裏に、丸い顔と星を三つ描いた。その隣に、覚えたばかりの漢字で書いた。

〈友〉

 翌日、教室で弁当を開けると、母の卵焼きから、まだ少しだけ彼の町の匂いがした。

 私はもう、からくないふりをしなかった。