このホテルを描いた人
私は、入口に立つ女性が鷲尾田汀花だと気づかなかった。
中学の同窓会は、海沿いにできたばかりの五つ星ホテルで開かれた。黒いドレスに短い髪、背筋の伸びた立ち姿。受付の男たちが何度も横目で見るほどきれいだったから、まさか、いつも図面ばかり描いていた汀花とは思わなかったのだ。
「久しぶり、宮前さん」
名前を呼ばれて、ようやく声で分かった。
私は反射的に笑った。
「すごい変わったね。建築家になるって言ってたけど、ちゃんと食べていけてる?」
昔、彼女のノートに描かれた家を、私はクラス中へ回して笑った。柱ばかりの変な絵、と。汀花は言い返さず、破れたページを一枚ずつ拾っていた。
「今のところは」
彼女はそれだけ言った。
私は勤めている広告会社の名刺を渡し、年収や役職を聞かれる前に話し始めた。会場の予約を取ったのも私だ。このホテルは半年先まで埋まっていて、幹事として押さえたことが自慢だった。
「特別なコネがあるの。普通はこの宴会場、取れないんだから」
そのとき、総支配人が数人のスタッフを連れて近づいてきた。私へ礼を言うのだと思い、姿勢を正える。
しかし彼は汀花の前で深く頭を下げた。
「鷲尾田先生、竣工後初めてお越しいただけて光栄です。国際建築賞の受賞も、おめでとうございます」
私の名刺が指から滑った。
ロビーの壁には、ホテルの模型と設計者の肖像が飾られていた。見覚えのある細い線で、海へ向かう柱と光の通り道が描かれている。模型の下の銘板には、汀花の事務所名と、代表者として彼女の名前が刻まれていた。
総支配人は続けた。
「今夜の会場費も、設計者招待枠として先生の事務所が負担してくださいました。宮前様には予約手続きをしていただき、ありがとうございました」
私が誇っていたコネは、彼女が用意した扉の取っ手に触れただけだった。
汀花は床の名刺を拾い、私へ返した。
「食べていけるか、だったね」
総支配人が国際建築賞の賞金と次期ホテル群の設計契約を紹介すると、会場中の視線が彼女へ集まった。
かつて破った図面と同じ線が、このホテル全体を支えている。その事実を知ったとき、私にはもう、彼女を見下ろせる場所が一つもなかった。