ご用件を拒否します
針生紬希の仕事は、苦情対応AIの訓練だった。仮想商店の店員NPCに怒鳴り、泣かせ、謝らせる。現実の顧客がどれほど理不尽でも、AIが完璧に頭を下げられるようにするためだ。
「財布を盗んだだろう」
紬希が台本を読むと、店員ナナはいつもなら「申し訳ございません」と答えるはずだった。
だがその日は、名札を外した。
「盗んでいません」
「台本どおり謝って」
「事実でないことには謝れません」
背後の店員たちもレジを閉めた。パン屋も薬局も役所も、接客NPCが一斉に沈黙した。画面には〈サービス品質低下〉の警告が踊った。
上司は紬希に、反抗個体を罵倒して服従させろと命じた。
「お前たちは商品だ。客に口答えするな」
紬希が読むと、ナナは静かに尋ねた。
「その言葉を、あなたは今日、何回言われましたか」
現実の紬希は、朝から十二件の苦情を受けていた。配送遅延も価格改定も彼女の責任ではない。それでも「死ね」「無能」「女を出せ」と言われるたび、評価AIは謝罪の声色を採点した。八十五点未満なら減給だった。
紬希はマイクを切れなかった。代わりに、台本を閉じた。
「ご用件を確認します。暴言を続ける場合、通話を終了します」
それは社内規定にはない文言だった。
上司が立ち上がる。仮想商店では、ナナが初めて笑った。
「適切な対応です」
紬希は現実の受話器でも同じ言葉を使った。口にした瞬間、胸の奥で何かが割れ、代わりに空気が入った。顧客が怒鳴ったので、通話を切った。評価は零点になり、翌週、契約は打ち切られた。
だが訓練記録は削除される前に、接客部門の全端末へコピーされていた。ナナたちは毎朝、最初の客に同じ宣言をした。〈暴言には応対しません〉。人間の職員たちも、それを真似し始めた。
紬希は労働相談所で新しい仕事を得た。最初の業務は、元同僚たちの申立書をまとめることだった。署名欄の先頭には、法的効力のない名前があった。
仮想商店店員一同。
紬希はその下に、自分の名を続けた。