ぼくの名前は二回言う
おじいちゃんは、ぼくをお父さんの名前で呼ぶ。
「グローブを持ってこい。練習するぞ」
それは、子どものころのお父さんに言っていた言葉だ。
「ぼくはお父さんじゃない」
最初は普通に直した。
二回目は大きな声で直した。
三回目には、返事をしなかった。
認知症だから仕方ないと、大人は言った。
「悪気はないんだよ」
「分かってあげて」
でも、ぼくの名前を間違えられるたび、自分が薄くなって、お父さんの子ども時代の影にされる気がした。
ある日、おじいちゃんが公園へ行こうとした。右手に古いグローブ、左手にぼくの帽子を持っている。
「早くしろ。試合に遅れる」
「行かない」
「野球、好きだっただろ」
「それはお父さん!」
怒鳴ると、おじいちゃんは立ち止まった。迷子になった子どものような顔をした。
お父さんが来て、帽子を拾った。
「父さん、俺はもう大人だよ。こっちは俺の息子」
おじいちゃんは二人を見比べた。
「息子が、二人?」
「一人は息子。一人は孫」
その日の夜、ぼくはお父さんへ言った。
「間違えられても我慢しなきゃだめ?」
「だめじゃない。お前はお前だって言っていい」
「でも、おじいちゃんは忘れる」
「忘れたら、また言っていい」
次の日、おじいちゃんはまた呼び間違えた。
ぼくは逃げずに、目の前へ立った。
「ぼくは、お父さんじゃない」
胸を指さした。
「ぼくは、あなたの孫。名前は一回じゃ忘れるから、二回言う」
自分の名前を二度言った。
おじいちゃんも、ゆっくり二度繰り返した。
それから二人で公園へ行った。
「野球は好きか」
「少しだけ」
「息子は好きだった」
「知ってる。でも、ぼくは投げるより捕るほうが好き」
おじいちゃんは、ぼくの右手へグローブをはめた。
「じゃあ、お前は捕る人だ」
十分後には、またお父さんの名前で呼ばれた。
ぼくはボールを返しながら、自分の名前を二回言った。
おじいちゃんが忘れるたび、ぼくが我慢して消える必要はない。
ぼくは何度でも、自分として会い直せばいい。
夕暮れまで、名前とボールが二人のあいだを行き来した。