エレベーターの青いしっぽ
塩谷梓音の通勤鞄には、青い獣のしっぽが隠れている。アニメ〈氷原ランナー〉に登場する脇役、フェンのマスコットチャームだ。目立たない裏ポケットへ付け、会社に着く前には必ず内側へ押し込む。
フェンは主人公でも人気投票一位でもない。敗走の途中で誰にも褒められない橋を直す、無口な整備士だった。梓音は残業続きだった新人時代、その姿に救われた。だから限定販売の日、朝五時から並んだ。
月曜の朝、満員のエレベーターを降りたところで、金具が外れた。青いしっぽは床を滑り、革靴の先で止まった。
拾ったのは、品質管理課長の皆藤巴だった。数字の誤差を許さず、雑談にも笑わない人だ。後ろの男性社員が「あ、それ子どもの?」と覗き込む。
巴はしっぽを手の中へ隠した。
「落とし物です。始業しますよ」
それだけで人の流れを散らし、梓音には何も言わなかった。午前中、梓音は胃の中に氷を入れたような気分で働いた。課長室へ呼ばれたのは昼前だった。
机の上に、青いしっぽが置かれている。
「縫い目の向きで、初版だと分かった」
巴は引き出しから同じマスコットを出した。ただし彼女のものは、何度も洗われて毛並みが丸くなっている。
「皆藤課長も、フェンを?」
「橋を直す回だけ二十回見た」
梓音は思わず笑った。ところが好きな場面を話し始めると、二人の解釈は見事に食い違った。梓音はフェンの自己犠牲が好きで、巴は「あれは犠牲ではなく作業判断」と譲らない。同じ推しなら分かり合える、という期待は三分で消えた。
巴は切れた金具を新しい二重リングへ交換し、しっぽを返した。
「私は鞄の外に付けている。でも、あなたまでそうする必要はない」
梓音は受け取り、しばらく考えた。隠したいのではなく、笑われる前に自分で小さくしていただけだと気づいた。
午後、裏ポケットではなく、持ち手の根元へ青いしっぽを付けた。会議へ向かう廊下で、巴の黒い鞄にも同じ青が揺れていた。
二つのしっぽは並ばず、少し離れて同じ方向へ進んだ。