パン袋の中の合鍵
開店十五分前、裏口の合鍵がフックから消えていた。
小さなベーカリーで製造主任を任される杠葉美澄は、冷蔵庫より先に人の顔を確かめた。昨夜最後までいた早番の蘇芳恵麻、合鍵を管理する店主の宍戸、午前四時に粉を届けた配送員の井関。触れられたのは、その三人だけだ。
宍戸は「俺は本鍵を持ってる」と首を振り、井関の納品記録にも入店時刻しかない。恵麻だけが、やけに忙しそうに紙袋を畳んでいた。
美澄が見つけた手掛かりは三つ。鍵のフックに残った、粉のついていない指の跡。作業台の下に落ちた鍵店の半券。そして、発送待ちのパン袋からのぞく「おかえりなさい」と書かれたカードだった。
宛名は、半年前から育児休業に入っている元同僚、蘇芳ではなく別の職人・常盤へ向けられていた。
「復帰、決まったんですか」
美澄が訊くと、恵麻の手が止まった。
常盤が休みに入ってから、美澄は穴を埋めるように早朝も閉店後も働いた。最近、宍戸と恵麻が自分に隠れて話すたび、役に立てなくなったら交代させられるのでは、と胸の奥がざわついていた。その不安を口にする方が、休みを頼むより難しかった。
合鍵は盗まれたのではなかった。恵麻が昨夜、店の近くの鍵店へ持ち込み、一本増やしていたのだ。常盤に渡す鍵をカードと一緒にパン袋へ隠し、驚かせるつもりだった。ところが慌てて、複製した方ではなく元の合鍵まで袋に入れてしまったらしい。
「先に言ったら、美澄さん、自分が外されるって思うかもしれないから」
恵麻は目を伏せた。
美澄は一年前から、休みを取るたびに製造表を持ち帰っていた。常盤が戻れば、三人体制になる。宍戸は、来月こそ美澄に連休を取らせるつもりだったという。常盤からのカードの返事には、「美澄さんが守ってくれた店へ戻れるのがうれしい」と丸い字で書かれていた。
「勝手に鍵を増やしたのは、ごめんなさい」
恵麻が差し出した袋の底で、二本の鍵が小さく鳴った。
開店後、焼き上がった塩パンを三人で割った。表面はぱりりとして、中からバターが熱くしみ出した。
美澄は一口かじり、休暇申請の紙を引き寄せた。
「じゃあ、三日だけ甘えます」