プロポーズは百一回目に断る
荻須拓真は、恋人の祈里に百回プロポーズした。
正確には、同じ金曜の午後七時四十分を百回繰り返した。レストランの婚姻支援AIが「自由意思の不一致」を検知すると、二人の記憶環境をその日の朝へ戻す実験サービスだった。拓真は、心から同意されれば終わると考えていた。
照明が落ち、窓の外で広告ドローンが花火を描き、拓真が指輪を出す。祈里が「はい」と答える。店内が拍手に包まれる。午前零時になると、拓真はその日の朝へ戻った。
最初は演出不足だと思った。二回目は生演奏を頼み、三回目は屋上を貸し切り、十回目は祈里の好きな古い映画の台詞を引用した。二十七回目には指輪を手作りし、五十回目には両親から祝福動画を集めた。
祈里は毎回、少し困ったように笑って「はい」と言った。
拓真はその笑顔を幸福だと決めつけていた。
七十三回目、ワインをこぼしたふりをして彼女の反応を観察した。祈里はナプキンを差し出しながら、誰にも聞こえない声で呟いた。
「また断れなかった」
胸が冷えた。
翌日――同じ日――拓真は指輪を出さず、仕事や天気の話だけをした。祈里は落ち着かず、何度も鞄を開けた。中には海外研究所の採用通知があった。出発日は翌月。拓真との結婚を選べば、諦めるつもりだった。
「どうして言わなかった」
「言ったら、がっかりするでしょう」
拓真は否定できなかった。彼は何年も、二人の未来を「当然の計画」として語っていた。家も、子どもの人数も、休日の過ごし方も。
百回目の夜、拓真はやはり指輪を出した。奇跡が起きて、彼女が心から喜ぶ可能性に縋ったのだ。祈里は涙を浮かべて「はい」と言った。午前零時、世界はまた朝へ戻った。
百一回目、拓真は空の指輪箱をテーブルに置いた。
「断っていい。むしろ、今まで断れなくしてごめん」
祈里は長く黙ったあと、「結婚しません」と言った。続けて、初めて晴れやかに笑った。
店を出た瞬間、午前零時を過ぎた。街は土曜日になった。
祈里は海外へ行き、拓真は一人暮らしを始めた。百回練習した愛の言葉は、どれも役に立たなかった。代わりに彼は、人の返事を待てるようになった。
三年後、別の誰かに好意を告げたとき、拓真は最後にこう付け加えた。
「どちらの答えでも、明日は来るから」