レシートの裏は営業時間外
雨堤南緒が働くコンビニには、毎晩十一時五十八分に来る客がいた。
鹿伏柊吾。買うのは缶コーヒー一本。会計中も床を見て、店を出ると駐車場の端で十分ほど動かなかった。
南緒は毎回、必要以上に明るく言った。
「こんばんは! 本日も閉店二分前ではありません!」
「コンビニに閉店はないでしょう」
三週間目に、初めて返事が来た。
「だから毎日、ぎりぎりではないという意味です」
「意味が分かりません」
それでも柊吾の口元は少し上がった。
ある夜、彼はコーヒーを持たず、レジへ来た。
「今日は何も買いません」
「立ち読み料金は笑顔一回です」
「高いな」
笑わなかった。
南緒はいつもの調子を少しだけ下げた。
「元気、ないですか」
柊吾は長く黙り、「会社を辞めました」と言った。正確には辞めさせられたらしい。家族へ言えず、帰宅時間だけ以前と同じにするため、毎晩この店で時間を潰していた。
南緒は励ましの言葉を探し、全部やめた。
「それは、お疲れさまでした」
「働いていないのに?」
「今日一日、誰にも言えないことを持ち歩いたでしょう。重かったと思います」
柊吾はレジ前で顔を覆った。南緒は慌てて、レシート用紙を長く引き出し、裏へ書いた。
〈本日の会計
缶コーヒー 0本
話したこと 1件
お疲れさま 1個
合計 0円〉
「営業時間外のサービスなので、会社には内緒です」
柊吾は泣きながら笑った。
翌日、彼は家族へ事情を話した。すぐ仕事が見つかったわけではない。けれど十一時五十八分の来店は、少しずつ早くなり、三か月後には夕方になった。再就職した配送会社の制服で現れた日、缶コーヒーを二本買い、一本を南緒へ差し出した。
「勤務中なので受け取れません」
「では笑顔一回で」
「高いですね」
二人で笑った。
その半年後、資格試験に落ちた南緒が、バックヤードで泣いていると、配達に来た柊吾が扉越しに言った。
「今日一日、残念を持ち歩いたでしょう。重かったと思います」
南緒は吹き出した。
親切な言葉は、使った人のものではない。
受け取った人が覚えていて、いつか元の持ち主が落ち込んだ日に、そっと返してくれる。