レベルゼロの盾
赤竜の炎が城壁をのみ込み、美緒のレベル表示が九十二から八十七へ落ちた。
体力は一滴も減っていない。代わりに、盾へ刻まれた数字だけが燃えるように消えていく。
【忘却の大盾】
【受けたダメージを無効化し、同量の経験値を消費する】
この盾を手に入れたとき、仲間たちは最強装備だと祝った。痛みも傷も残らない代わりに、攻撃を受けるたび、狩場で過ごした夜や、初めて覚えた技が数字から消えていく。美緒は盾役として重宝され、失ったレベルを一人で取り戻し、また誰かの前へ立った。九十九まで上げ直したのは、これで三度目だった。
「ミオ、もういい! 撤退門は開いた!」
仲間たちは次々と門をくぐった。赤竜の討伐は失敗。それでも全滅だけは避けられる。
だが瓦礫の陰に、薬草売りの少女ネネが取り残されていた。戦闘能力を持たない村人NPC。救っても報酬はなく、次の再生成で同じ顔が補充されるだけだ。
「お姉ちゃん、行って」
ネネは震えながら笑った。
炎が来る。美緒は少女の前へ立った。レベル六十一、四十、二十三。積み上げた二年間の討伐記録が、盾の表面から剥がれ落ちて空へ散った。
「NPCに何してる!」
門の向こうで誰かが叫ぶ。
美緒には、ここが本当にゲームか分からなくなっていた。ログアウトできなくなった日から、ネネは毎朝パンを焦がし、雨の日には古傷をさすり、死んだ猫の名を寝言で呼んだ。記号にしては、あまりにも生きていた。
最後の火球が竜の口に生まれる。表示はレベル一。経験値は残りわずか。現実では、眠ったままの美緒を両親が待っている。それでも少女を見捨てて帰れば、目覚めた自分が同じ人間か分からなかった。盾に残った経験値は、強さではなく、ここで何を選んだかの総量に思えた。
「盾を下ろせば、君だけ助かるよ」
「ううん。私が助かるんじゃない」
美緒は盾を両手で押し立てた。
白い衝撃。数字がゼロになり、視界から名前も能力欄も消えた。プレイヤーデータが壊れたのだと思った。
けれど炎の向こうで、ネネの小さな手が美緒の指を握った。
【メインクエスト《赤竜迎撃》失敗】
【隠しクエスト《経験を世界へ返す者》達成】
【レベル0を確認――当該アバターを未登録住民として保護します】
【プレイヤー権限を消去したため、現実身体との接続制限を解除します】