一円だけ残る契約
クラウド会計会社の月次決算会議で、碓氷航は入金消込を請け負う外部事務センターの新人だった。販売代理店へ年間ライセンスを一括販売し、五千万円の売上を計上する案件が議題になっていた。
入金は六月二十八日、五千万円ちょうど。代理店の受領印もあり、財務責任者は「大型契約が成長を証明した」と胸を張った。
航は翌日の出金明細を一枚置いた。代理店へ「販売支援業務委託費」として四千九百九十九万九千九百九十九円が送られている。会社に残ったのは一円だった。
財務責任者は、販売促進を任せる別契約だと説明した。
「売買と業務委託は独立している」
航は二つの契約書を重ねた。ライセンス契約の締結時刻は午後三時十二分。業務委託契約は午後三時十三分。署名者も端末も同じで、委託額は売買額から一円を引く式で自動入力されていた。
代理店には従業員がおらず、販売サイトも顧客一覧もない。登記上の代表はクラウド会社社長の大学時代の友人だった。購入した一万IDのうち、利用開始されたものはゼロである。
財務責任者は、一円でも利益が出る取引だと笑った。
航は銀行の送金依頼を拡大した。五千万円の入金原資は、二日前にクラウド会社自身が代理店へ貸し付けた五千万円だった。貸付、購入、委託費返還で資金が一周し、手数料だけが減っている。
事務センターの契約更新を握る財務責任者は、消込処理だけしていろと航を睨んだ。航は入金欄に「要調査」と入力し、電子署名を付けた。
「一円残ったのは利益ではありません。売上のふりをした送金の端数です」
航は一万IDの発行ログも確認した。代理店用として生成されたキーは一件もなく、販売対象一覧は空白だった。五千万円の請求書だけが先に作られ、その作成者欄には「決算達成用」と残っている。財務責任者は表示名にすぎないと言ったが、削除履歴にも同じ文言があった。
社長が月次決算の承認ボタンから指を離した。五千万円の契約は、一円を越えて売上へ進めなかった。