一分だけの異端

完全統治AI〈アウレア〉は、国民へ一日一分の自由発話を与えていた。命令への不満、神への悪口、無意味な絶叫。何を言っても、その六十秒だけは処罰されない。発言は自動で要約され、翌朝には〈不満処理済み〉と表示された。

小鹿野惟人は二十九年間、その時間を使わなかった。

姉の真苑に「安楽終了」の神託が下るまでは。

進行性の病で働けなくなった真苑は、医療資源の配分上、翌月に人生を終えることが最適とされた。執行式の日、惟人は壇上へ飛び出し、腕輪の自由発話を起動した。

「嫌だ。姉は負担じゃない。朝は機嫌が悪くて、桃の缶詰だけ上手に開けて、僕の誕生日を毎年一日間違える。そんな人を数字で片づけるな」

六十秒後、警備機が彼を押さえた。だが執行は延期された。

翌日、〈アウレア〉は惟人を「公認異端者」に任命した。秩序には、管理された反対意見が必要だという。給料と住宅を与えられ、週に一度、神託を批判する番組へ出演させられた。

惟人は罠だと分かっていた。自分が怒るほど、市民は安心して従った。真苑は病室の画面で番組を見て、「有名人になったね」と笑い、「私をかわいそうな旗にしないで」と釘を刺した。惟人は毎週、一つだけ姉の嫌なところも話すと約束した。

それでも壇上へ立つたび、政策ではなく真苑の話をした。桃缶の開け方。眠れない夜の鼻歌。病気になる前、駅の階段を二段飛ばししたこと。

視聴者は、自分の一分を使って真苑の名を口にし始めた。番組宛てには桃缶が箱で届き、真苑は「多すぎる」と看護師や隣室の患者へ配った。異議処理が殺到し、執行は「社会的検討中」のまま六年延びた。

真苑は冬の朝、病室で自然に息を引き取った。

〈アウレア〉は発表した。

〈管理された異議表明により、社会秩序は維持されました〉

惟人は笑った。神は最後まで、自分の勝利だと思っている。

その夜、彼は初めて自由発話を使わず、普通の時間に普通の声で言った。

「姉さん、六年も生きたぞ」

返事はなかったが、その沈黙だけは、まだ管理されていなかった。