一時十三分の逆再生

午前一時十三分になると、千早辺涼花の古いラジオだけが勝手に点いた。

流れたのは、十年前に放送禁止となった一曲だった。女性の息を逆さに吸い込むようなイントロ。再生ランプは点いているのに、周波数表示は空白。昼間に同じ録音を開けば、砂嵐しか入っていない。

「先に帰って」

逆回転した合成音声の奥で、涼花はその言葉だけを聞き取った。かつて同じ深夜番組を作った相棒の口癖だった。彼女は局を辞めた夜から消息を絶ち、海沿いの駐車場で車だけが見つかった。涼花は、仕事に疲れた彼女が遠くへ逃げたのだと思うことにしていた。

Aメロには、局内のドア音が拍として並んでいた。カードキー、給湯室、資料庫。涼花は机に残る古い見取り図へ指を走らせる。音の順番は、彼女が最後に歩いた経路と同じだ。だが一つだけ逆だった。非常階段の扉は閉じる音ではなく、内側から何度も押す音だった。

「先に帰って」

二度目のフレーズで、涼花の胸が締まった。あの夜、彼女はそう言って自分を逃がしたのかもしれない。局長が二人の告発企画を止め、資料を没収した直後だった。彼女は残って証拠を守り、そのせいで消された。涼花はそう信じ、涙を流しながら音量を上げた。

サビに入ると、逆再生だった声が正方向へ折り返した。そこで聞こえたのは相棒ではなく、涼花自身の声だった。

〈資料は私が持って帰る。あなたはもう帰って〉

続いて鍵の音。非常階段を外から施錠する乾いたクリック。涼花の記憶に、消していた場面が戻る。企画を売ったのは局長ではない。昇進と引き換えに証拠を渡したのは涼花だった。相棒が追ってくるのを恐れ、階段へ閉じ込めた。火災報知器が鳴ったのは、その十分後だった。

曲の最後、放送卓の録音ランプが赤く点いた。深夜一時十三分は、局の自動バックアップが十年前の削除データを復元する時刻だった。今夜の再生も、すでに外部監査サーバーへ送られている。

ラジオから三度目の声が流れた。

「先に帰って」

それは相棒が涼花を逃がした優しい別れではない。相棒を閉じ込めた夜、涼花自身が吐いた命令だった。