一滴だけの永久凍土

「魔力ゼロなら、水球ひとつ作れまい」

水属性塔の試験官が鼻で笑った。海難事故の直後にこの世界へ転移した遠野雫は、濡れたままの靴で実技水槽の前に立っていた。課題は水を掌ほど浮かせ、指定の器へ移すだけ。周囲の生徒は青い球を踊らせ、彼女の空の手を見てくすくす笑った。

雫は水属性の寮へ入ることさえ拒まれ、試験が終われば洗濯場の雑用へ回される予定だった。それでも、器の水面に映る自分の顔をまっすぐ見ていた。

そのとき、学院地下から鈍い衝撃が響いた。

封印飼育されていた灼熱蜥蜴が鎖を焼き切り、床を突き破って現れたのだ。初級生用の試験場へ、赤熱した巨体が這い出す。教師たちの防壁は触れただけで蒸発し、水槽は一瞬で沸騰した。

「全員、退避!」

雫だけが水槽のそばに残った。逃げ遅れた小柄な受験生が、蜥蜴の爪の下で動けなくなっていたからだ。少女の制服はすでに焦げ、泣く声さえ熱気に奪われている。雫は自分も海で助けを待った最後の数秒を思い出し、今度は見捨てる側にならないと決めた。

転移した瞬間から、雫には世界の熱が色として見えていた。赤、橙、白。その中心に、触れてはいけないほど眩しい核がある。

《能力・熱の保管――触れた一滴へ、周囲の熱を一度だけ収納できる》

雫は沸騰する水槽へ指を入れ、一滴だけすくった。

音が消えた。

灼熱蜥蜴の赤が吸い取られ、爪先から白く凍った。炎の舌も、溶けた床も、宙を舞う火の粉も、すべて一枚の静かな氷景色へ変わる。水槽の縁に載った一滴だけが、真昼の太陽のように輝いていた。

温度測定塔の数字が下限を突き抜け、石柱は内側から砕けた。

雫は凍った爪の下から受験生を引き出した。それ以上は何もしなかった。

避難命令を叫んでいた水聖導師ラウラが、壇上で杖を取り落とす。彼女は長い青衣の裾を正し、雫に対して正式な礼を取った。

「器へ水を移す試験は中止します」

凍りついた実技場で、彼女の声だけが響く。

「今日、器の大きさを試されていたのは、私たちのほうでした」