七本目の松明
魏梁卓は、城外に並ぶ六本の松明を数え直した。
「七本と命じたはずだ」
「一本は河へ落ちました」
若い火番が震えて答えた。落ちたのではない。梁卓が落とさせた。葦の間で消えた七本目こそ、今夜の退却路を敵に教える餌だった。
北塞の兵は二千。だが三日の敗戦で、歩ける者は九百に減っている。夜明けまでに泥河を渡らねば、燕恢の騎兵に背を食われる。
敵は高台から、こちらの営火を見ていた。梁卓が将となってから、退却の際は部隊ごとに一本、七本の松明を立てるのが慣例だった。燕恢はその癖を知っている。六本しかなければ、一隊が先に抜けたと読む。消えた方角へ斥候を走らせ、主力の渡河点を探すはずだ。
「本当に北へ痕跡を残したのですか」
副将の秦梧が訊いた。
梁卓は濡れた竹簡を火へくべた。北岸の地図が黒く縮む。
「馬蹄を四十、葦原へ打たせた。だが馬は一頭も使っていない」
「蹄だけを?」
「敵は足跡を信じる。足を信じる奴より扱いやすい」
兵たちは六本の松明を囲み、鍋を煮るふりを続けていた。中身は河泥だ。湯気だけが立つ。遠目には、まだ夕餉の最中に見える。
やがて北の闇で、鳥が一斉に飛んだ。敵の斥候が葦へ入った証拠だった。
梁卓は腰の竹符を二つに折った。半分を秦梧に渡す。
「全軍、南の浅瀬へ。鎧は脱がせろ」
「将軍は」
「六本の火は、誰かが守らねば急に消える」
秦梧の顔が歪んだ。
「七本目になられるおつもりか」
梁卓は火番から松明を一本受け取った。火の粉が髭へ散った。
「違う。数を数え直させるだけだ」
兵が南へ消えてから、梁卓は六本を一本ずつ東へ移した。遠目には隊列が動き始めたように見える。燕恢なら北へ出した騎兵を呼び戻し、東へ回す。その間に九百は河を越える。
西の丘で角笛が鳴った。敵陣の火が二手に割れた。
梁卓は最後の松明を持ち上げた。向こう岸の土塁に、秦梧の小さな影が立っている。合図の竹符が月光を返した。
「門を開けよ」
河向こうで命令が渡り、南塞の水門が軋みながら開いた。