七階では閉めないで

 榧森透羽の家は九階にある。

 母とエレベーターに乗るときは、守らなければならない約束が三つあった。

 一人で乗らない。

 七階で扉が開いても降りない。

 赤い髪留めの女の子がいても、絶対に話さない。

 女の子はいつも七階にいた。

 焦げた黄色い服を着て、裸足で立っている。透羽と同じくらいの年に見えた。

「お母さん、今度は閉めないで」

 女の子が言うと、母は閉ボタンを何度も押した。

 扉の隙間へ女の子の指が入っても、母は目を閉じたまま押し続けた。

「誰もいなかったでしょう」

 九階に着くたび、母は透羽へ確認した。

 透羽がうなずくまで、手首を強く握った。

 ある日、祖母の押入れで古い新聞を見つけた。

〈高層住宅で火災 女児一名死亡〉

〈榧森真白さん(八)、七階通路で発見〉

 写真の女の子は、赤い髪留めをしていた。

 記事には、母親が「娘は階段で先に避難したと思った」と証言した、と書かれている。

 透羽は母へ、真白は誰かと尋ねた。

「知らない子よ」

「でも、名字が同じだよ」

「昔はよくある名字だったの」

 母は新聞を細かく破り、流しで燃やした。

 燃える紙から、女の子と同じ焦げ臭さがした。

 その夜、二人がエレベーターへ乗ると、七階のボタンが勝手に点いた。

 母は九階を連打したが、箱は止まった。

 扉の向こうに真白がいた。

「透羽、聞いて」

 母が初めて女の子の名を叫んだ。

「その子の言うことを信じちゃだめ!」

 真白は透羽ではなく、母を見ていた。

「あの日も、お母さんは閉ボタンを押したよね。私が外にいるのを見ながら」

 火災警報のような音が鳴った。

 母は透羽を抱き寄せ、閉ボタンへ手を伸ばした。

 けれど今度は、透羽が開ボタンを押した。

 真白が箱の中へ入ってくる。

 母は壁まで下がった。

「約束したよね」

 真白は赤い髪留めを外し、透羽の手へ載せた。

「次は、お母さんを一人で行かせないって」

 扉が閉まった。

 九階に着いたとき、箱の中には透羽しかいなかった。

 床には、母の靴が左右そろえて残されていた。

 透羽の掌では、赤い髪留めだけが熱を持っていた。