三つ目の投げ銭

鷺坂玲央のチャンネルは、登録者九百人で止まっていた。だから「水没した集落の盆配信」という企画に飛びついた。

湖畔の資料館で借りた祭礼帳には、沈んだ村の銭汲みについて短く記されていた。死者へ三枚の銭を投げ、最後の一枚だけ名を呼ばずに沈める。その余白へ、鉛筆で現代の注意が書き足されていた。

《同じ額の匿名投げ銭が三回来ても、三度目の名前を読んではいけない》

玲央は面白がって、その一文も配信で紹介した。資料館員は帰り際、「銭は代金じゃない。向こうがこちらの何かを買う印だ」と言ったが、マイクには入っていなかった。

午前零時、湖面を映すだけの配信に最初の投げ銭が来た。

【¥444 匿名】

コメントなし。

二分後、二つ目。

【¥444 匿名】

《まだそこにいる》

視聴者が騒ぎ、同接は一気に増えた。玲央は仕込みではないと繰り返した。三つ目の通知が鳴ったとき、表示名だけが匿名ではなかった。

【¥444 鷺坂玲央】

《読んで》

自分の名前だった。管理画面の送金元を開くと、作成日は二十五年前、玲央の出生時刻になっている。登録メールは自分のものなのに、見覚えのない古い形式だった。反射的に、配信者の癖で礼を言った。

「鷺坂玲央さん、四百四十四円ありがとう」

その瞬間、湖の中央で硬貨を落としたような音がした。水面に同心円が三つ生まれ、岸へではなくカメラへ向かって縮んできた。コメント欄は《名前読んだ?》《今の誰の声》で埋まった。

玲央は一度だけ規則を破った。その後は何も言わず、機材を抱えて車へ逃げた。

帰宅して配信の収益画面を開くと、三件とも「返金済み」になっていた。返金先は表示されない。代わりに、音声権利の申し立てが一件届いていた。

申立人――鷺坂玲央。

該当箇所――自分の名前を読んだ声。

翌朝、スマホの決済アプリが振動した。

【本人から本人へ ¥444を受け取りました】

メモ欄には《声は受領しました》とある。

玲央が「問い合わせる」と呟いても、声が出なかった。画面の音声入力だけが反応し、勝手に文字を打った。

《鷺坂玲央さん、ありがとう》

送信先は、玲央自身だった。