三号車には乗せない
試運転列車の発車ベルが鳴る三十秒前、整備主任は銀色の点検槌を真壁征士へ差し出した。
「異音は冬場ならいつものことだ。三号車へ乗れ」
同じ台詞だった。
征士は六年後の記憶を持ったまま、あの日へ戻っていた。前の人生で彼は命令に従い、三号車の床下から響く小さな打音を黙認した。列車は北トンネル内で脱線し、同僚七人が死亡。生き残った征士だけが「点検済み」の署名を理由に有罪となった。
事故原因は、車軸内部の疲労亀裂。外側から見えず、槌で叩いた時だけ、半音低い響きを返す。
征士は槌を受け取った。しかし乗車口へは向かわず、ホーム中央の非常停止ボタンを叩いた。
赤灯が回り、発車ベルが途切れる。
「何をしている!」
主任が顔を赤くする。前回なら縮こまった声に、今度は点検槌を掲げて答えた。
「いつもの音ではありません。三号車の第二車軸を超音波検査します。私の署名は出しません」
「臆病者が。予定が一時間遅れるんだぞ」
「前は七人の人生が終わりました」
誰にも意味は分からない。けれど征士は一歩も退かなかった。運転士が迷いながらも主電源を落とし、保安担当が検査器を運んでくる。
主任は舌打ちし、自分で安全を証明しようと三号車の車輪を蹴った。
乾いた音がした。
続いて、車軸の根元から黒い筋が走る。停車したままの車体がわずかに傾き、車輪が一枚、レールの内側へ外れた。
ホームが凍りついた。
あと数十メートル走っていれば、前と同じだった。
保安担当が亀裂へライトを当てる。
「内部まで割れている……真壁、よく止めた」
主任の手から、点検表が滑り落ちた。前の人生では征士の名前だけが残った紙だ。今度は未署名の欄が白く光っている。
午前九時、事故報告アプリが震える時刻になった。以前は《北トンネル内、死傷者多数》の通知が表示された。
画面に現れたのは一行だけ。
《試運転中止。発見者・真壁征士を特別安全監査官に任命する》
運転士が三号車から降り、初めて笑った。
「今日は、全員で帰れますね」