不合格、おめでとう
笠置万里の受験前夜、十年後の写真通知が届いた。
〈十年前の今日――第一志望、不合格。おめでとう〉
写真には、三十歳の自分らしい男が写っていた。木屑だらけの作業着で、曲線の美しい椅子を抱え、見たことのない仲間たちと笑っている。
医師の父と薬剤師の母は、通知を見るなり端末を伏せた。
「未来は変えられる。明日は余計なことを考えるな」
万里もそうするつもりだった。医学部へ入り、両親と同じ白い廊下を歩く。それ以外の人生を、彼は教わっていなかった。
試験会場で問題用紙を開くと、手は勝手に動いた。模試では何度も上位に入っている。未来を外してやれると思った。ところが最後の小論文で、〈あなたが自分で選んだものについて述べよ〉と問われ、鉛筆が止まった。
万里が自分で選んだものは、小学生のころ拾った壊れた椅子だけだった。座面を張り直し、脚を削り、母に叱られながら物置で直した。完成した椅子は今も台所にある。
彼はその話を書いた。医療への志望も、立派な理念も書かなかった。
春、結果は不合格だった。父は通知に負けたと言い、母は浪人の手続きを始めた。万里は二人の前に、家具修復の専門学校の資料を置いた。
「通知のせいじゃない。通知が来る前から、たぶん僕はこっちを見てた」
家を出るまでに半年かかった。学費は自分で働いて払った。最初の実習では、古い机の天板を削りすぎた。先生に『元へ戻せないのが修復だ』と叱られ、受験の失敗と同じ言葉だと思った。失敗した修復も、安く買いたたかれた仕事もあった。父からは二年間、連絡がなかった。三年目、台所の椅子の脚がぐらつくという短いメールが来た。万里は直しに帰り、仕事の話ではなく木の乾かし方を父へ説明した。写真のような椅子を作れるまで、十年では少し足りなかった。
通知の日からちょうど十年後、万里は工房で一脚の椅子を完成させた。仲間は忙しく、写真のように並んではくれなかった。作業着も違った。
それでも彼は椅子に座り、過去の自分へ向けるつもりで笑った。
不合格は祝うものではない。けれど、閉じた扉の前で初めて別の扉を探した自分なら、祝ってもよかった。