九時の門限

 父は、私が誰かを好きになることを許さなかった。

 手紙を見つければ破り、外出の理由を何度も聞いた。門限は夜九時。少しでも遅れると玄関に鎖を掛け、朝まで入れてくれなかった。

「お父さんと、よく喧嘩を?」

 刑事は、階段の下に横たわる父を見ながら尋ねた。

「私が悪いんです。黙って出ていこうとしたから」

 寝室には小さな旅行鞄を用意していた。下着と貯金通帳、それから、引き出しの底に隠していた一通の手紙。

 今夜、私はあの人のところへ行くつもりだった。

 鞄を持って廊下へ出たとき、父が部屋から現れた。

「どこへ行く」

「もう、ここには戻りません」

 父は私の腕をつかんだ。昔と同じだった。あの人と駅で待ち合わせた夜も、こうして連れ戻された。私は振りほどこうとした。父の足がもつれ、階段を落ちた。

「突き落としたのではなく、事故だと?」

「はい」

 刑事は手紙を開いた。紙は茶色く変色し、折り目が今にも裂けそうだった。

〈六月十二日、九時の列車で待っています。二人で海の見える町へ行こう。礼二〉

「ずいぶん古い手紙ですね」

「五十九年前にもらいました」

 刑事が初めて、私の顔をまともに見た。

 鏡には白髪の女が映っている。綿貫冬江、七十九歳。階段の下で死んでいる父は、先月百三歳になった。

 あの夜、父は私を駅へ行かせなかった。礼二は一人で町を出て、別の人と家庭を持った。それでも年に一度だけ、同じ日付の葉書をくれた。

 その礼二が昨日、亡くなった。

 私は駆け落ちをするのではない。葬儀へ行き、約束を守れなかったことを謝るつもりだった。

「お父さんは、今夜も止めたんですか」

「私には世話をする義務がある、と」

 刑事は黙って手錠を取り出した。

「後悔していますか」

 私は時計を見た。八時五十八分だった。

「六十年近く、門限を守りました」

 手首を差し出す。

「今夜くらい、破ってもいいと思ったんです」

 連行される車が門を出たとき、時計は九時を三分過ぎていた。

 私は初めて、父に叱られない夜道を見た。