乾かない靴底

証拠品廃棄の立会いは、古座野環刑事にとって事務仕事のはずだった。

十二年前の河川敷殺人。狭間征史の靴底に付着した泥が決め手となり、無期懲役が確定した。再審請求も退けられ、保管期限を過ぎた靴は、午後五時に裁断される。

古座野が透明袋を傾けると、踵の溝に詰まった黒い塊が鈍く光った。十二年も経つのに、表面がわずかに粘っている。

「触るな。廃棄票に署名しろ」

榛葉幹夫係長が手袋越しに袋を取り上げた。

古座野は聞かなかった。鑑識棚から紫外線灯を借り、泥へ当てた。青白い筋が浮かぶ。河川敷の粘土ではない。足跡を型取りするため鑑識が使うシリコーン剤の蛍光識別色だった。

事件当時の写真では、狭間の靴は乾き、溝も空だった。押収翌日の鑑定写真にだけ、泥が深く詰め込まれている。誰かが現場土と型取り剤を混ぜ、靴底へ押し付けたのだ。保管簿には、押収直後の二十七分だけ、靴が証拠室ではなく榛葉の捜査車にあったと記されている。その空白を指摘した若い鑑識員は、翌月に交通課へ異動していた。彼の未提出メモには《土壌一致せず。人工材混入》とある。廃棄箱の底から、古座野が今朝見つけたものだった。

榛葉の頬から色が消えた。当時、足跡採取を担当したのは彼だった。

「混入だ。現場で袋を開けた時についた」

「袋の封印記録では、開封は鑑定室が最初です」

「今さら主証拠を否定したら、狭間だけでは済まない。県警の鑑識が作った証拠だと新聞に書かれる」

裁断機のモーター音が隣室から響いた。廃棄票には、刑事部長まで押印済みだった。ここで署名すれば靴は細片になり、粘りも蛍光も永遠に「泥」になる。

古座野は袋を胸元へ引き寄せた。榛葉が出口を塞ぐ。

「持ち出せば窃盗扱いにするぞ」

「だから、持ち出しません」

古座野は保全用の赤い封印帯を巻き、証拠品棚へ戻した。廃棄票の署名欄には自分の名ではなく、《廃棄停止・捏造疑義》と書く。

その複写を監察室と再審係へ同時送信し、原本を榛葉の前へ置いた。